KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

どーもKABUOです。 山形や東北を中心に旅を行い グルメ・スイーツ、温泉・サウナ 歴史や史跡に観光スポットなどを 紹介するブログを掲載しています。

村山市 大久保城の歴史と史跡をご紹介!🏯

どーもKABUOです。

 

山形県村山市の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

今回は村山市大久保にあります城跡、

大久保城の歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

大久保城の歴史と史跡をご紹介!🏯

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018182135j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018182209j:plain

 

大久保城本丸跡

 

大久保城の歴史ですが

山形城主最上家3代目満直の三男、

最上満頼によって築城され

大窪氏と称しこの地を治ました。

当初この地に入部した満頼は

現在の大久保城より東にあります

宝鏡寺に館を設けたとされており、

時代とともに現在の大久保小学校あたりに

城を移城を行っていったと思われます。

 

現在大久保小学校がある場所が

大久保城の本丸跡地だとされており、

小学校校舎北西には神社がありました。

特に歴史や祭神の説明が無く

神社の歴史は不明です。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018182500j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018182529j:plain

 

大久保城水壕跡

 

大久保城は最上川左岸の段丘上に立地し

標高90mの台地に築城された平台城、

南側の段崖上とそのその外側を流れる

千座川を天然の壕に見立て築城されており

北には田村川が流れておりますが

南に比べると平坦が続いており

防備面が手薄な北側には

幅約10m~20m程の水壕が巡らせています。

 

北西から北東にかけ

大久保小学校をを囲むように

現在でも水堀が残されており

遺構の状態も良好で見ごたえがありました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018182832j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018183401j:plain

 

大久保城南側

 

南北朝動乱後南朝廷方を封じ込めた最上家は

北へ北へと勢力拡大を図り

大久保を中心に最上川東側の統治を行うため

築城したと思われますが、

大久保城はネットサイトで調べてみても

特に記録らしい記録があまり残されておらず

大久保城より北には後に最上義光に滅ぼされた

白鳥氏の前城白鳥城や南には谷地城があり

中世戦国時代の様子がまったく分からず

どのように歴史を歩んだのかが

不明な点が多いことが特徴的なお城です。

 

こちらは大久保小学校南側の様子、

千座川が流れ大久保小学校の

グランドが整備されています。

南側から眺めると大久保小学校は

小高い丘に築城されて事がよくわかり、

またグランドがある平坦な土地は

お城の曲輪にも見えなくありません。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018185321j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018185406j:plain

 

城西側・北側の街道沿い

 

南北朝動乱の時代

最上氏の最大の敵は西村山地方を支配した

寒河江大江氏でした。

1368年、漆川の合戦により

寒河江大江氏を戦いで破った最上氏は

村山地方の覇権を握り勢力を拡大させる中、

弱体したとはいえ

寒河江大江氏は健在しており、

その動向に警戒を行っていた事は想像出来ます。

 

寒河江大江氏の居城寒河江城を中心に見ると

南には山野辺城や中野城(山辺町・山形市中野)

最上川を挟んで東側には

天童城に高擶城があり(天童市)、

河北町谷地の北側には大久保城がある事から

四方を囲むように最上氏の支城を置き

寒河江大江氏の牽制を行い、

大久保城から見れば

寒河江大江氏の侵攻に備え、

城南側の防御面を意識した築城が行われ

また大久保の地は河北町谷地から大石田町、

村山市楯岡から碁点を通り大久保を結ぶ

主要な街道沿いに築城されている事から

交通の要地を抑える役割を

果たしていたものと推測されます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018190031j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211018191242j:plain

 

宝鏡寺・大久保八幡神社

 

その後歴史の表舞台に現れたのは

慶長年間(1596~1615年)

最上家家臣大久保主馬介が入城を果たし

3000石を領有したと記録に残されており

1622年、最上家の改易によって

大久保城も廃城になったと思われます。

 

大久保小学校より東にあります

宝鏡寺は大久保城の前身だとされ

南側・西側には幅約10m程の空壕が残り、

宝鏡寺により少し北西にある大久保八幡神社は

大久保主馬介により岩清水八幡宮から

勧請され創建された歴史を持ち

大久保の鎮守として地元の人に

愛された神社になります。

 

謎多き大久保城ですが

当時の歴史的背景を推測読み解きながら巡る

お城散策は結構楽しかったので

ぜひ観光に訪れてみてください

 

ランキングに参加しています

記事の内容がよろしければ

バナークリックをお願いします

にほんブログ村 旅行ブログ 東北旅行へ
にほんブログ村

 

 

こちらがアクセス場所です。

 

スポンサーリンク