KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

故郷山形を中心に東北各地の歴史や史跡、グルメなんかを読者の方々に詳しくご紹介出来ればと思います。

東根市 東根城の歴史と史跡をご紹介!(南北朝動乱の時代編)🏯

どーもKABUOです。

 

山形県東根市にありますお城跡、

東根城を巡りましたので1部・2部に分け

お城の歴史と史跡をご紹介します。

 

今回は東根城が築城された経緯と

時代背景であります南北朝時代の

様子と共にご紹介します。

 

 

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東根城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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東根城跡(東根小学校)

 

東根城、別名小田島城とも呼ばれ

その歴史は1347年、

小田島長義によって現在東根小学校がある

敷地内に築城が行われました。

 

小田島氏ですが

平安時代より東根は小田島荘白津郷と呼ばれ

鎌倉時代地頭中条兼綱がこの地に入部すると

その子孫は小田島と名乗り

東根の地を統治する事となります。

 

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東根城周辺

 

この頃、建武の新政による失脚から

復活を果たそうとする後醍醐天皇南朝派と

足利尊氏北朝派と別れ権力を争った

南北朝時代でありました。

 

1343年、後醍醐天皇を打倒した

足利尊氏により荘園を没収されると

小田島荘地頭職は結城氏に

宛行われる事となりますが

小田島氏は後醍醐天皇側である

南朝派に組入れ激しい抵抗。

 

その後の詳しい経緯は不明ですが

1347年に東根城が築城された経緯や

寒河江・村山地方を中心に

南朝派の武将が多く活躍した事から

小田島氏が結城氏との争いに

勝利を収めたものと考えられます。

 

東根小学校周辺を歩きますと

模擬ではありますが城郭を

意識した町作りがされており

お城の雰囲気を味わう事が出来ます。

 

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普光寺の釣り鐘

 

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 若宮八幡神社

 

しかし1356年、

南朝派の抵抗を抑えるため

北朝廷派であり最上家の始祖である

斯波兼頼が山形に入部すると

南北派武将に対し圧力かけ

抵抗を試みるも北朝派の勢いには

勝つ事が出来ませんでした。

 

その後、小田島氏は東根城を捨て敗走、

山形県新庄市鳥越に城を構えた説、

河北町谷地方面へと逃れ命脈を保ったと

伝わっております。

 

写真の普光寺の釣り鐘と若宮八幡神社は

小田島長義によって

寄進創建されたと伝えられており

普光寺の釣り鐘は国指定文化財

若宮八幡神社の神輿は山形県指定文化財に

登録されております。

 

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養源寺

 

斯波兼頼はその後、

最上と名を改めて山形城を中心に

一族を配置し東・西村山郡の統治を行うと、

東根城には斯波兼頼の子孫にあたる

天童城主天童頼直の四男、

天童頼高が入部し東根氏と称し

7代にわたり東根地方を治めました。

 

こちらの養源寺は

天童頼高によって開基され

東根氏の菩提寺だったお寺です

 

次回は東根城の戦国時代の動乱や

江戸時代までの様子をご紹介します

 

次回の記事は

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