KABUOのぶらり旅日記

どーもKABUOです。 地元山形を中心に各地のグルメ・温泉サウナ・歴史史跡巡りや観光スポットを訪れブログでご紹介しています。

青森県藤崎町中心街をぶらり散策してきました🚉

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どーもKABUOです。

 

青森県藤崎町の中心街を

ぶらり散策してきましたので、

町並みの様子や地区の歴史を

ご紹介します。

 

青森県藤崎町をぶらり散策してきました🚉

 

 

弘前市より北に7km程離れた藤崎町。

古くは鹿島神社北の沼洲川にちなみ

沼洲村(ぬますむら)と呼ばれていました。

 

793年頃、蝦夷討伐を行った

坂上田村麻呂が戦勝を記念して

現在の鹿島神社の創建に携わった際、

持っていた藤の鞭を地面に突き立て

目印にしたと伝えられています。

 

その後、藤の鞭から根が出て

毎年美しい花が咲き誇るようなると

「藤の花が咲く里」と呼ばれ

藤咲・藤先そして藤崎と転化された事が

地名の由来となっています。

 

 

 

中世の時代に入りますと、

前九年の役の戦いに敗れた

安倍貞任の遺児である

高星丸が藤崎まで落ち延びます。

 

成人した後に津軽安東氏を起こして

藤崎城を築いて本拠地として

津軽地方の統治を行い、

十三湊での交易を行い繁栄を極め、

鎌倉幕府5代執権北条時頼に愛された

唐糸御前は安東氏の娘であった事から

中央政権とも深い関係を

結ぶ事に成功します。

 

しかし津軽安東氏は一族の内乱によって

徐々に弱体し没落の一途を辿り、

南部氏によってその隙を付かれ

戦いに敗れ所領を

追われる事となりました。

 

 

 

南部氏が津軽地方に入りますと

浪岡城主北畠氏によって

藤崎地域は統治されましたが、

津軽独立を目論む津軽為信によって

北畠氏は攻め滅ぼされ、

後に津軽藩が立藩されると

幕末まで津軽家によって

統治が行われる事となります。

 

江戸時代に入りますと、

青森・弘前・黒石・五所川原と

主要街道を結ぶ要地に位置してる事から

宿場町として整備が施され、

多くの人々が行きかい

岩木川舟運の荷物の往来によって

栄える事となりました。

 

 

 

明治時代に入りますと、

肥沃な土地であった事から

津軽の風土と気候に適した

リンゴの生産が行われると、

品種改良によってふじりんごが開発され

一大生産地として

産業が発展しする事となりました。

 

 

 

藤崎駅から出発して

宿場町がありました本町沿いと

藤崎八幡宮まで歩きましたが、

昔ながらの個人商店が並び、

津軽安東氏の歴史にも触れ事ができ

結構見応えがある町並みとなっています。

 

町ぶらする際は

地元のお菓子屋さんに入店して

ふじりんごを使用した

リンゴスイーツを食べ歩くのが

KABUO的におすすめです。

 

青森県にお越しの際は

藤崎町にぜひ訪れてみてください。

 

黒石市・南津軽エリア

ぶらり町歩き

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