どーもKABUOです。
2018年9月頃になりますが
東北一の歓楽街と呼ばれる
仙台国分町に行って参りました。
山形市からもバス一本で
一時間で行けますので
アクセスもよく土日の夜には
山形からもちょくちょく訪れる
山形県民の方も多いと思います。
今回はその国分町の街並みと
歴史について言及出来ればと思います。
東北一の歓楽街 国分町の怪しい飲み屋街とその歴史
国分町
東北一と呼ばれる歓楽街、
国分町にやって来ました!
訪れた日は日曜日でしたので
比較的に落ち着いた印象を覗かせます。
国分町の町の由来ですが
陸奥国分寺の門前町に住む住人を
伊達政宗が仙台建設の際に
集団移転して出来た町になり
国分寺から国分町の町の
名前の由来となっており
江戸時代から旅籠町として栄え
宿場町としての歴史を持つ町です。
2011年の震災以降
多くの土木関係者が宮城県に押し寄せ
国分町は復興バブルで
盛り上がったとされますが
震災から大分時が経ち
少し落ち着きが戻って来たこともあり
当時と比べ落ち着いた印象を受けます
当時は怪しい外国人のマッサージ屋さんに
路上で声をかけられる事がありましたが
今は、その姿を確認することが
出来ませんでした。
宮城県は多くの食材に恵まれており、
仙台名物の牛タンは分厚いながらも
柔らかく、牛タン専門店が数多く並び
三陸で獲れる新鮮な魚介にも恵まれ
三陸の生牡蠣や雲丹にホヤ等が
居酒屋や寿司屋に並べられています
また米所でもある宮城県は
多くの酒造所がありますので
丹精込めて作られた地酒が
楽しめるそんな素敵な場所になります。
色々な刺激的な魅力があり
夜の遊び場としても
数多くの男性を魅了する国分町、
歌舞伎町とかと比べれば
見劣りするかもしれませんが
無料案内所や情報雑誌も
充実してるのではないでしょうか
その歴史は
戊辰戦争の後に仙台に軍が駐留
軍の要請により国分町周辺に
遊郭を設けた事から始まり
当時は戊辰戦争の敗北から
没落した士族の娘の身売りが行われた
悲しい歴史が残っております
そういった歴史の流れから
現在の国分町は形成されていき
近くにはラブホテルが建設され
大歓楽街へと変わっていきますが
昔の国分町と比べますと
現在の歌舞伎町と同様に
怪しいお店は少しずつ排除され
トーンダウンしソフトなお店が増え
誰もが気軽に安心して訪れる
町並みになってきました。
僕は昔の少しギラギラした
町並みの方がスリルがあって
好きだったんですけどね(笑)
でも現在でも深夜を回りますと
怪しい客引きも増え
少しスリリングな所も残っております。
(ぼったくりかもしれないので
付いていくのは自己責任でお願いします)
仙台に訪れましたら
ぜひ国分町に寄って
朝まで楽しんでください。
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