KABUOのぶらり旅日記

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青森市 尻八館(尻八城)の歴史と史跡をご紹介!🏯

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どーもKABUOです。

 

青森県青森市にあります城跡、

尻八館を訪れましたので

史跡の様子やお城の歴史をご紹介します。

 

尻八館(尻八城)の歴史と史跡をご紹介!🏯

 

 

青森市後潟平野にあります尻八館。

後潟は古来より湖潟とも呼ばれ

大倉岳から東方に張り出した

丘陵東端に位置し標高約180m程、

およそ2100m²の広い平面を有する

中世の山城跡。

 

築城年代は1230年頃とされ、

鎌倉時代津軽地方を治めました

津軽安東氏の一族が

古いアイヌのチャシを利用して

築城したのが尻八館の

始まりだとされています。

 

 

 

その後一族によって

地域の統治が行われましたが、

安東氏一族内で内乱が起こると

次第に勢力を弱体化させると、

隣接する南部地方を治める

南部氏が津軽地方へと侵攻。

 

津軽安東氏は婚姻関係を結び

南部氏との間で和睦が進められましたが、

しかし南部氏からの侵攻は治まらず、

1435年、南部義政によって

尻八館も攻め込まれます。

 

 

 

この時城主でありました

この時13歳の湖潟政季が

生け捕られましたが、

南部の血を引いていることから

八戸で育てられました。

 

そして成人後に

むつ市田名部の旧安東氏の

知行を引き継いだと伝えられ、

この戦いの後に館は廃城したと

考えられています。

 

 

 

津軽安東氏が統治していました時代、

南部氏が台頭する以前は

周りに外敵が無かったと思われ、

居城藤崎城など平城の支城が多い中、

外敵に備えたような山城を築城したことが

大変興味をそそります。

 

津波に備えて

高台に築城したとも考えられますが、

物流に適していませんので、

麓に平城を築いた後に、

詰城としても使用したとも考えられ

色々と想像が付きませんね~。

 

 

 

現在は山城公園として整備され

駐車場も確保。

駐車場から二の丸・本丸までは

整備された穏やかな坂が続き

史跡散策もかなり楽に行えました。

 

 

 

二の丸跡地には石碑と案内板が設置、

チャシの原型とと思われるような

遺構が数多くありながらも、

安東氏時代に改築を行ったと思われる

堀切跡も所々に確認する事もできました。

 

展望台があるようですが、

木々に塞がれているので

あまり景色は良くない印象ですが、

本格的な山城が少ない

津軽地方では結構貴重な遺構ですので

青森市にお越しの際は

尻八館をぜひ散策を行ってみてください。

 

 

こちらがお城の場所です。

国道280号線から山城公園へと向かう

細い道を進むと公園の駐車場へと

到着することができます。

 

青森市・東津軽エリア

城郭・山城・館跡

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