どーもKABUOです。
旅に行ってきました。
今回は羽州街道の宿場町として栄えた
八郎潟町の中心街を
ブラリ散策しましたので、
町並みの様子や歴史をご紹介します。
願人踊が有名な八郎潟町をブラリ散策してきました🏍️
江戸時代宿場町として栄えた八郎潟町。
町の中心街は一日市とも呼ばれ、
三斎市が開催された事から
一日市(ひといち)という
地名の由来となり、
八郎潟駅を中心に町並みが形成。
五城目街道と、
古来より要地に位置する重要拠点でした。
中世戦国時代には浦城主三浦氏によって
この地は統治されておりましたが、
1589年に起こりました湊合戦により
檜山安東氏方の攻撃によって落城、
城主三浦盛永がこの戦いよって自害すると、
その遺児盛季は取り立てられ
押切城を築城し入城を果たし
菩提寺清源寺を建立をするも、
家臣小山田甲斐の讒言により
落命したと伝えられています。
江戸時代に入りますと常陸国より
佐竹氏は久保田城下や領内を結ぶ
各街道の整備を積極的に行い
三倉鼻の街道整備を行った結果、
1662年、一日市村に宿駅を設け
江戸時代幕末まで宿場町として
栄える事となりました。
町並みをブラリと歩けば
古い商店や町並みが並び
宿場町の風情が味わえる他、
毎年5月5日に一日市神社に奉納される
登録されています
秋田県に観光にお越しの際は
ぜひ八郎潟駅前周辺を
ブラリ散策してみてください
南秋田郡のぶらり町歩き
おすすめ関連記事