KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

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たまに行くなら古代より栄えた港町~秋田市土崎港をブラリ旅🏍️

どーもKABUOです。

 

秋田市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は秋田市土崎港地区を

ブラリ散策してきましたので

中世戦国時代の湊城や

宿場町として栄えた歴史など

現在の町並みの様子とともに

ご紹介します。

 

 

 

 

 

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たまに行くなら古代より栄えた港町~秋田市土崎をブラリ旅🏍️

 

 

土崎駅

 

秋田市中心街から北部に位置する

秋田市土崎港地区。

町の西部を流れる秋田運河を中心に

海運に携わる企業が多く並ぶ

日本を代表する港町です。

 

古代の時代の頃より

齶田浦(あきたうら)・飽田とも呼ばれ

秋田城への物資の補給や

中国や蝦夷との交易交流が行われる等

古くから海運によって栄えました。

 

 

 

湊城跡(土崎街区公園)

 

中世の時代、

青森県津軽郡十三湊を本拠地とする

安東氏一族が内紛によって分裂すると

一族である安東鹿季が

日本海の海運の重要拠点であった

土崎を本拠地と定め湊城を築城。

 

一方十三湊を拠点とする安東氏一族は

南北朝時代に南部氏の侵攻によって

津軽郡の領土を失うと湊安東氏を便り

秋田県能代市を拠点を移移し

檜山城の築城を行い、

湊城を本拠地とする湊安東氏

檜山城を拠点とする檜山安東氏と別れ

南秋田郡及び檜山郡(現山本郡)は

安東氏一族によって統治が行われます

 

勢力を広げた安東氏ですが

近隣戦国大名と領土争いを行うなか、

檜山安東氏と湊安東氏の間に

徐々に亀裂が生じるようになり、

三度の内紛(湊騒動)を経て

檜山安東氏側が勝利を治めると

安東から秋田氏へと改姓を行い、

湊城を本拠地として定め

領土の統治を行いましたが

関ヶ原の合戦での不手際により

戦後茨城県常陸国に国替えが行われ

安東氏による統治の終焉を迎えました

 

現在土崎街区公園には

湊安東氏を讃える

顕彰碑が建てられています。

 

 

 

土崎神明社

 

江戸時代

関ヶ原の合戦により

茨城県常陸国より佐竹義宣が

秋田県に入部し秋田藩を立藩。

当初湊城を居城に据えましたが

手狭だったため久保田城を築城、

湊城は破却が行われます。

 

藩政期土崎港地区は

北前船の寄港地として

また雄物川からの物資の集積地として

急速に発展していき、

秋田県と青森県を結ぶ

羽州街道の宿場が設けられると

船の往来や荷物の集積、

多くの人々の往来によって

久保田城下以上に大変栄えました

 

現在湊城跡地には

佐竹義宣と共に入部し

当地の肝煎に任命された

川口惣治郎が氏神として祀られ

後に町民の間でも信仰を深めた

土崎神明社が建立されており、

毎年開催される

土崎神明社祭の曳山行事は

国重要無形民族文化財に指定されています。

 

 

 

土崎みなと歴史伝承館

 

明治以降

土崎港地区はは秋田県を代表する

港町として近代化が進められていき

こちらの土崎みなと歴史伝承館では

終戦間近の最後に行われた

土崎空襲の悲惨な歴史や

また土崎の古代から近代化までの

歴史を学べるブースが展示されています

秋田市に観光の際は

ぜひ土崎港地区まで足を運んでください

 

 

こちらが史跡の場所です。

 

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