KABUOのブラリ放浪記

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横手市の歴史と史跡をご紹介!🏯

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秋田県横手市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

古代東北で勢力を誇った清原氏

戦国時代この地を治めた小野寺氏、

江戸時代久保田藩の佐竹氏等、

古代から近現代までの

歴史をまとめましたので

ご紹介します。

 

 

 

 

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横手市の歴史と史跡をご紹介!


横手駅

 

 

横手市役所

 

秋田県東南部の中心都市横手市

横手盆地の中央部に位置しており、

2005年に横手市十文字町平鹿町

雄物川町大森町増田町大雄村

山内村が合併を行い新政横手市が誕生。

これにより古代より使用されていた

平鹿郡という名称が消滅する事となります。

 

 

保呂羽山波宇志別神社 里宮

 

 

保呂羽山波宇志別神社 神楽殿

 

原始・古代の時代より

雄物川皆瀬川流域・横手盆地山麓

縄文・弥生時代の史跡が発見されており

天平5年に雄勝郡が成立されてから

横手盆地の南部の開拓が進み

その後雄物川と成瀬川の北東部に

平鹿郡が分置されます。

 

しかしその後蝦夷による反乱によって

一時荒廃したが反乱の鎮圧とともに

再び土地の開発が進められ、

御嶽山塩湯彦神社と

保呂羽山波宇志別神社が

式内社として当郡に鎮座しました

 

保呂羽山波宇志別神社の歴史を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

 

 

 

大鳥井山遺跡

 

平安時代中期頃より

豪族清原氏によってこの地は治められ、

1056-62年に勃発した安倍氏による

朝廷に反乱を起こした前九年の役では

朝廷方である源頼家・義家の要請によって

清原武則を総大将として氏は軍勢を派遣、

安倍氏を滅亡に追い込み、

戦後安倍氏が領有する奥六群を手中に収める

勢力を拡大する事となりました。

 

こちらの大鳥井山遺跡は

豪族清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)

父子によって大鳥井柵がこの地に築かれ

清原氏の拠点の1つだったと考えられ

国指定史跡に登録されています。

 

大鳥井山遺跡の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです

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 金沢柵(金澤八幡宮)

 

 

後三年合戦金沢資料館

 

秋田県及び東北一帯で

絶大な勢力を広げた清原氏でしたが、

後三年の役と呼ばれる

一族の内紛が起こると、

その戦いに介入した

源義家清原清衡連合軍と

清原家衡の軍勢が

沼の柵・金沢柵で両者激突。

 

当初家衡の軍勢が地の理を得て

清衡・義家連合軍を翻弄しましたが

徐々に攻勢を強めた連合軍の前に敗北、

清衡は東北一体を手中に治め

名を藤原清衡と改め奥州藤原氏

礎を築く事となりました。

 

後三年の役と金沢柵を

詳しく紹介した記事はこちらです

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沼館城(沼の柵跡)

 

中世の時代、

栄華を極めた奥州藤原氏でしたが

源頼朝による奥州合戦により滅亡、

戦後恩賞により松葉助宗が地頭として

平鹿郡の領地を与えられ平鹿氏と名乗り

一族を各地に配置し統治を行いましたが

鎌倉中期に平鹿郡は北条家惣領となるが

平鹿氏の一族はそのまま土着を行い、

その後平鹿郡に進出した新興勢力に

組み込まれていったと考えられています。

 

戦国時代に差し掛かる頃には

稲庭城主小野寺氏が

平鹿郡にまで勢力を広げ、

居城を沼館城へと移すと

仙北地方にまで進軍した南部氏や

近隣勢力との間で長く抗争を繰り広げます。

しかし12代当主小野寺稙道は家臣である

横手光盛と金沢八幡別当金乗坊による

反乱によって稙道は自害しました。

 

沼館城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです

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吉田城跡

 

 

大森城(大森神社)

 

稙道の子である小野寺輝道は

庄内大宝寺氏を頼り落ち延びると

政治・外交手腕に長けた輝道は

瞬く間に敵である横手光盛を討ち取り

居城を沼館城から横手城へと移し、

小野寺家の最盛期を築きあげ

その後輝道は吉田城に隠居、

その子義道が家督を継ぐ事となります。

 

しかしこの頃から

近隣勢力からの圧迫によって徐々に衰退、

関ヶ原の合戦では上杉景勝方西軍と与し

東軍方の最上義光の支城を攻撃した事から、

関ヶ原の戦いは徳川方の勝利後、

最上軍の進軍を受け支城大森城で奮戦するも

戦後島根県石見国津和野へと流罪となり、

戦国武将小野寺氏は滅亡を迎えました。

 

吉田城・大森城等

横手市の城郭の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

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横手城(横手公園)

 

 

横手市武家屋敷

 

江戸時代

関ヶ原の合戦後、茨城県常陸国より

佐竹義宣秋田県に入部し久保田藩を立藩、

横手城は南秋田地方を統治を行う

重要戦略拠点として位置付けされた事から

一国一城令から特例として廃城が免れます。

 

その後伊達氏・須田氏・戸村氏が

城代として横手城に入城を行い

横手城下の町並みが形成され

大沢地区と共に宿場町を形成、

また大森地区には佐竹北家に治められ

浅舞地区には郡奉行所が設置される等、

佐竹家臣団によって横手市一帯の

基礎が築きあげられる事となりました。

 

横手城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

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旧日新館

 

近代明治時代

1868年、明治戊辰戦争の勃発により

久保田藩は新政府軍に味方した事により

東北諸藩からの進軍を受け

横手城で防戦するも力及ばず敗走。

戦後横手市中心街はは平鹿郡及び

県南の中心都市となり

1905年には横手駅が開業され

政治・経済・交通の発達が促進されました。

 

こちらの旧日新館は

1902年、旧制横手中学校(現横手高校)に

80歳で亡くなるまで伝道生活を続け

英語教師として赴任してきた宣教師

チャールス・C・チャップリン氏の

住居として建てられた洋館となっており

県指定有形文化財に登録されています。

 

 

横手やきそば

 

 

十文字ラーメン

 

現在横手市ではB級グルメ

全国的にも有名になった

横手やきそばや十文字ラーメン

小正月を祝う伝統行事かまくら等、

観光事業にも力を入れており

横手城や温泉など見所満載です!

秋田県に観光の際は

ぜひ横手市に訪れてみてください。

以上横手市の歴史と史跡のご紹介でした。

 

 

こちらが史跡の場所です

 

横手市の歴史と史跡

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