どーもKABUOです。
秋田県横手市の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は後三年の役で戦場となりました
金沢柵から程近く
江戸時代には宿場町として栄えた
金沢本町をブラリ旅してきましたので
その歴史や史跡をご紹介します。
スポンサーリンク
横手市金沢本町をブラリ旅!
横手市中心街から北にあります
金沢本町地区。
砂金の産地または砂金貢納地だったとされ
金沢という地名の由来となりました。
また源義家・清原清衡と清原家衡との争い
後三年の役では家衡の軍勢が立て籠り
籠城戦を行った金沢柵跡から程近く、
両者が激突を行った古戦場の跡地でもある
歴史の深い土地柄となっています。
中世戦国時代には
金沢柵に改良を施された金沢城を築城、
横手市や雄勝郡一帯に勢力を広げた
小野寺氏の支城として使用されましたが、
12代当主小野寺稙道の時代に
城主金沢金乗坊と横手光盛の謀反により
稙道は湯沢城に追い込まれ暗殺、
その後稙道の跡を継いだ
小野寺景道は勢力を盛り返し
金沢金乗坊や横手光盛を攻め滅ぼしました。
そのため金沢本町付近には
長岡森館や茨島館等の
金沢城と関連すると思われる
中世の城郭跡が残されています。
江戸時代に入りますと
茨城県常陸国より佐竹義信が
秋田県に入部し久保田藩を立藩、
秋田・山形・福島を通る
羽州街道の整備が行われ
金沢地区に宿場町が設けられると
参勤交代や人々や荷物の往来が活発化され
地区にあります
金沢八幡宮は歴代藩主の信仰が厚く
十数回の改修が行われました。
その後明治30年に町制をしき
金沢町となった後、
昭和30年に横手市に編入され
現在に至ります。
こちらの桂徳寺は1606年に開基され、
金沢柵の阿弥陀堂に安置され
戦火を逃れたと伝えられる
木造阿弥陀如来坐像が安置されており
秋田県指定有形文化財に登録されています。
昔ながらの母屋や町並みは
あまり残されていないようでしたが、
金沢柵の観光と共にぜひ訪れてみてください
横手市町並みブラリ旅
おすすめ関連記事
スポンサーリンク