どーもKABUOです
旅に行ってきました。
今回は後三年の役や沼館城の古戦場、
江戸時代には宿場町として栄えた
町の風景や歴史と史跡をご紹介します。
横手市雄物川町をブラリ旅🏯
横手市中心街から西部にあります
1950年に沼館町・里見村・福地村、
町内の中央を優雅に流れる雄物川から
町名の由来となりました。
そして2005年に旧横手市及び
平鹿郡の近隣町村とともに合併を行い
現在に至ります。
沼館城(沼の柵)
雄物川町の歴史ですが、
原始・古代の時代より雄物川流域を中心に
蝦夷塚古墳・根羽子沢遺跡・兵部ヶ沢遺跡、
数々の遺跡が確認されています
また雄物川町中心地沼館地区は
東北で勢力を広げた豪族清原氏の内紛、
後三年の役の古戦場跡としても
知られており、
清原家衡が立て籠もった強固な沼の柵跡や
その後戦国時代には
小野寺氏の居城として一時使用された
沼館城跡が町内に残されています。
沼館城と沼の柵の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです。
首塚神社
(こうべづかじんじゃ)
蝦夷を討った際の戦死者の首1千余りを
ここに埋葬したことで、
この名前がつけられたと伝えられています。
また先程ご紹介しました
首約890をこの地に埋葬し、
社殿を建ててその霊を慰めたとも言います。
沼館伝馬所
今宿の大柳(市神様)
近世江戸時代に入りますと
低湿地の再開発や安定化を図り
新田開発が試みられました。
また佐竹氏は領内の交通街道を整備すると
湯沢市から大仙市大曲を結ぶ
沼館街道沿いの雄物川町沼館・今宿、
本荘街道を結ぶ大沢地区に
伝馬所が設けられる事となり
現在の町並みが形成される事となりました。
位置付けだったのですが
歴代秋田藩主は鷹狩りの遊戯を勤しむ為、
沼館街道をよく好んで使用を行い
秋田の紀行家菅江真澄が
今宿の小西久兵衛の家に滞在した記録や
江戸の歌舞伎役者市川団之丞の墓所がある
蔵伝寺が建立されています。
雄物川町大沢地区の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです
では雄物川町中心街をブラリ散策。
昔は羽後交通横荘線が通り、
町には沼館駅があった事から
人々の往来も激しかったそうですが
1971年に廃線が決定されると、
徐々に町が衰退していったといいます
昔ながらの商店が多く並びます・・・。
昭和ノスタルジックを感じる
レトロな居酒屋店舗も残され
時が止まったかのような感じがしますね~。
現在の町並みはこんな感じとなっています。
やっぱり沼館城は土塁や水堀跡が
しっかりと残され見応えがあり、
その他にも雄物川中央公園には
雄物川町の歴史が学べる郷土資料館や
古い日本家屋が残る木戸五郎兵衛村等が
ありますのでぜひ観光に訪れてみてください
こちらが史跡の場所です。
横手市ぶらり町あるき
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