どーもKABUOです。
旅に行ってきました。
横堀地区をブラリ散策しましたので
同地区にあります
小野小町に関する史跡や、
町並みの様子をご紹介します。
湯沢市横堀地区をブラリ旅👘
横堀駅前
歴応年間(1330年代)
院内(法領館)城主三浦義末は
この地に北接する小野との間に、
外敵に備えて
大堀・高土堤を築きました。
この時に作られた堀割を
「横堀」と称したことが、
地名の由来と言われています。
この時代背景ですが
湯沢市院内にあります
院内城主三浦義末は
雄勝郡に地頭として入部した
小野寺氏の支城小野城と
領土を接しており、
小野寺氏の勢力が広がるにつれ
警戒しこの地に軍事施設を設置しました。
その後小野寺氏家臣姉崎氏に攻め込まれ
三浦氏は敗北を喫し没落しました。
院内城や小野城の歴史や史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです。
旧横堀小学校と神明社
絶世の美女と言われた
小野小町の生誕の地とされており(諸説あり)
町内には小野小町が産湯に使用した井戸や、
彼女が晩年に過ごした岩谷堂、
小野小町を祀る小町堂があるなど
史跡が多く残されています。
小野小町の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです。
江戸時代には青森から秋田・山形を
羽州街道が整備されると
横堀地区には宿場町が置かれ、
荷物や文書を運ぶ伝馬の往来が激しく、
特に日本三大銀山の1つに数えられる、
院内銀山の採掘開始とともに
活気に溢れていました。
院内銀山の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです
しかし明治40年代から院内銀山の衰退し、
町の経済は大きな打撃を受けました。
この頃から豊富な水量を利用した
養鯉業が起こり
最盛期には専業戸数も数十戸となります。
また1905年には横堀駅が開業され
湯沢市南部の中心地として
経済発展する事となりました。
小町堂
ブラリ散策すると、
宿場町や昔ながらの町並みの
風情は残されていませんが
小野小町に関する史跡が数多く、
横堀に訪れた際はぜひ巡ってみてください。
以上湯沢市横堀地区をブラリ旅でした。
湯沢市雄勝地区
ぶらり町歩き
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