どーもKABUOです。
旅に行ってきました。
今回は湯沢市院内にあります城跡、
法領館(院内城)の歴史と史跡を
ご紹介します。
法領館(院内城)の歴史と史跡をご紹介!🏯
法領館(院内城)南側
神明社(千代世神社)
湯沢市中心街から
南部にあります院内地区、
院内地区の中心部にあります館山に
中世の山城法領館がありました。
別名院内城・館山城とも呼ばれ
築城年代は不明ですが、
桓武天皇の末孫三浦義末によって
築城されたといわれています。
恩賞として相模国三浦郷に所領を得た
三浦為通のひ孫にあたり
院内地区の統治にあたりました。
法領館は館山を中心に
雄物川・松根川が周辺を流れた
天然の要害となっており、
北側の院内石採石場跡、
南側の神明社から
散策が可能となっています。
法領館の道沿い
城から見える院内地区
しかし1339年、雄勝郡に勢力を伸ばした
小野寺氏との間に確執が生じ、
小野寺氏の家臣で
小野城主姉崎左衛門に攻められて落城し
小野寺氏の支配下となり
三浦氏は没落したと思われます。
その後雄小野寺氏は平鹿・仙北地方まで
勢力を広げ秋田県南部を掌握しましたが、
近隣勢力の拡大によって徐々に国力は衰退、
豊臣秀吉の時代には小田原の役に参陣し
所領は安堵されるも領土の一部は
豊臣秀吉によって
没収される事となりました。
領内ではそれに不安を思うもの多く
一揆が多発する事となりました。
道中はよく整備されており
今回は南側の神明社から
散策を行いましたが、
館山の尾根沿いを通り北側に歩くと
所々に曲輪や堀切りが見受けられ
とても見応えがありました。
小野城の歴史と史跡を
詳しくご紹介した記事はこちらです
館山山頂
その鎮圧にあたるため豊臣軍の配下
山形城主最上義光は
有屋峠を越えて秋田に入り
秋の宮・横堀・小野の城を攻め落とした。
最後に院内城を攻めるため、
山形金山城主丹与三右衛門が率いる
千余人の兵が杉峠を越えて攻めたものの、
時の城主小野寺民部の弟山田二郎と
家臣奥山玄蕃の活躍により
双方に多数の死傷者が出て
勝負がつかなかったといわれている。
しかし1600年、関ヶ原の合戦で
小野寺氏は上杉方と密約を交わし
西軍に与した事から
戦後領土はすべて没収され、
院内城もその歴史を
閉じる事となりました。
こちらは北側の様子。
北側には広々とした曲輪があり、
山頂へと続く階段整備されており
階段を登ると811年に創建された
愛宕神社本宮の小祠があります
院内石採石場跡
法領館(愛宕神社)南側
北側・南側と散策可能ですが、
北側には駐車スペースがあり、
江戸時代から採掘された院内石採石場跡や
曲輪からも近く短時間で散策するなら
北側から散策するのがおすすめです。
湯沢市にお越しの際は
ぜひ法領館の歴史に触れてみてください。
こちらが法領館(院内城)の場所です
湯沢市雄勝郡の城郭
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