どーもKABUOです
歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。
今回はだんぶり長者の伝承が残る
大日靈貴神社の歴史と史跡をご紹介します。
大日靈貴神社の歴史と史跡をご紹介!。
大日靈貴神社。
後奥州藤原氏や南部氏と
歴代統治者から厚い帰依を受けた
歴史のある鹿角市を代表する神社です。
こちらの神社には面白い
だんぶり長者という民話が残されており、
昔、出羽国の独鈷(とっこ)村
に気立ての良い娘がいた。
ある夜、娘の夢に老人が現れ
「川上に行けば夫となる男に出合うだろう」
と告げる。お告げ通り、娘は川上の小豆沢
(現在の鹿角市八幡平小豆沢)で
一人の男に出合い、夫婦となって
貧しいながら仲睦まじく暮らした。
ある年の正月、また老人が夢に現れ
「もっと川上に住めば徳のある人になるだろう」
と告げる。夫婦は川をさかのぼり
現在の米代川の源流に近い田山村
よく働いた。
ある日、夫が野良仕事に
疲れうとうとしていると、
一匹のだんぶり(とんぼ)が飛んできて、
夫の口に尻尾で2・3度触れた。
目を覚ました夫は、
妻に「不思議なうまい酒を飲んだ」と話し、
二人でだんぶりの後を追った。
そして、先の岩陰に酒が湧く泉を発見する。
酒は尽きることがなく、
飲めばどんな病気も癒やされた。
夫婦はこの泉で金持ちとなり、
多くの人が夫婦の家に集まってきた。
人々が朝夕に研ぐ米の汁で川が白くなり、
いつしか川は「米代川」と
呼ばれるようになった。
夫婦には秀子という一人娘がいた。
優しく美しい乙女に成長し、
やがて継体天皇に仕えて、
吉祥姫と呼ばれた。夫婦も天皇から
「長者」の称号を与えられ、
「だんぶり長者」として人々に慕われた。
年月が過ぎ、夫婦がこの世を去ると、
酒泉はただの泉になった。
両親の死を悲しんだ吉祥姫は都から戻り
小豆沢の地に大日霊貴神社を建てて供養した。
この姫も世を去ると、村人達は姫を
大日霊貴神社の近くに埋葬し、
銀杏の木を植えた。これが、
大日霊貴神社の境内にあった
大銀杏と言われている。
(Wikipedia引用)
その後の残された記録によると
718年に行基によって再建。
この時に随行した工匠・音楽師などが
里人に舞楽を伝授を行い
それが現在大日堂舞楽と呼ばれ
ユネスコ無形文化遺産に登録。
大日靈貴神社から程近い場所にあります
こちらの吉祥院には
吉祥姫の墓碑が残されています。
あまりだんぶり長者という
民話を詳しく知らなかった物で
神聖な感じがあり参拝は行いましたが、
あまり面白味が分かりませんでしたが、
民話を詳しく知ってから訪れると
より一層魅力が分かると思いますので、
ぜひだんぶり長者を詳しく調べてから
訪れる事をおすすめします。
こちらが神社の場所です。
鹿角市の歴史と史跡
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