どーもKABUOです。
秋田県由利地方の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は由利地方の南にあります
にかほ市を中心に歴史と史跡を
古代・中世~近世・近代の
2部に分けてご紹介します
今回は古代から中世にかけて
鳥海山修験で栄えた金峰神社や
中世にかほ市で勢力を広げた
仁賀保氏の歴史や史跡を
ご紹介します。
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にかほ市の歴史と史跡をご紹介!(古代~中世戦国編)
仁賀保駅
象潟駅
秋田県南西部沿岸に位置しているにかほ市。
東側は由利本荘市に接し、
南側は山形県遊佐町に接しています。
南東には標高2236mの鳥海山、
西には日本海を臨む山と海に囲まれた
自然豊かな土地柄となっています。
にかほ市の歴史ですが、
昭和の大合併によって、
仁賀保町・金浦町・象潟町が発足。
その後2005年に3町が合併を行い
にかほ市が誕生しました。
町名の由来は、
アイヌ語のニイカップ(草原)という説や
二箇の保からという説があるそうです。
金峰神社
奈曽の白瀑谷
原始・古代の時代。
にかほ市では主に赤石川・大砂川・白雪川等で
下岩の沢遺跡・岱山遺跡・細久保遺跡・
高寺遺跡等の縄文・弥生時代の
遺跡が発見されています。
また奈良時代から平安時代にかけ
現在の秋田市に秋田城が置かれた事から
出羽国府から秋田城まで結ぶ
日本海沿いの幹線路が発達する事となり、
山形県遊佐町から秋田県由利本荘市を結ぶ
中間の象潟に宿駅が設けられたと
記録に残されていることから象潟を中心に
金浦・仁賀保へと開拓が
進んで行ったと考えられ、
その後平安末期に由利郡が成立すると
竹島荘と呼ばれる荘園が成立され
奥州藤原氏の配下であった
豪族由利氏によって統治が行われました。
こちらの金峰神社は社伝によると
680年、役小角がこの地に訪れ
奈曽の白滝を発見し霊場として
蔵王権現を祀った事から始まり、
古代から近世江戸時代にかけ
鳥海山修験の修験場として栄え
金峰神社境内及び奈曽の白瀑谷は
国指定史跡「鳥海山」として登録されています。
金峰神社の歴史と史跡、
鳥海山の豊かな自然を
詳しく紹介した記事はこちらです。
建武碑
栗山館跡
中世の時代
1189年の奥州合戦によって奥州藤原氏は滅亡。
しかし由利氏は所領は安堵され
鎌倉幕府によって地頭に命じられ
引き続き統治を行いましたが、
1213年、執権北条義時を排除しようと
有力御家人和田義盛が反乱を起こす
和田合戦が起こると和田氏に与した事から、
事件鎮圧後由利氏は連座させられ所領を没収、
由利地方を去る事となりました。
その後12世紀から13世紀かけての
由利郡の記録はあやふやで
動向は詳しく分からない事が多いのですが
伝承によると所領を没収された由利氏は
帰参を許され由利地方に戻りましたが、
前九年の役で滅んだ
安部氏の血筋を組むとされる
鳥海氏との争いによって敗れ
由利郡一帯を鳥海氏が統治を行いましたが
その鳥海氏も重臣の裏切りによって滅亡、
またその重臣達もお互いに争いを起こし
滅亡したと伝えられています。
にかほ市旧金浦にあります建武碑は、
鳥海氏との戦いに破れた
由利政春の嫡子丁刃丸が
この地で自刃し建立された
供養塔との伝承が残されています。
にかほ市伊勢居地中にあります
栗山館跡は由利氏を滅ぼした
鳥海弥三郎の館跡で
にかほ市指定史跡に登録されています。
山根館
陽山寺
由利氏・鳥海氏が滅亡後の
由利地方に長らく空白が生まれたが
1467年、甲斐源氏小笠原氏流の
大井朝光の末裔と伝えられる
大井友拳が地頭代としてこの地に入部すると
にかほ市一帯の統治を行い
その後その子孫は仁賀保氏・矢島氏と
後に由利十二頭と呼ばれる
国人衆へと成長します
しかし一族同士の争いは絶えず
戦国時代には由利地方における
領地の争いが度々行われる事となると
にかほ市一帯を治めていました
仁賀保拳誠は山形城主最上義光を後ろ楯として
矢島氏との戦いに勝利を収めると
1600年、関ヶ原の戦いでは
東軍に味方したことから領地が加増され
常陸国武田に領地が与えられる事となり
この地を離れていきました。
こちらの山根館は仁賀保氏の居城跡で
秋田県指定史跡に登録されています。
また山根館があります院内地区は
館を中心に城下町として整備された歴史があり
地区にあります陽山寺の山門は
にかほ市有形文化財に登録されています。
山根館と仁賀保氏の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです。
以上にかほ市の歴史と史跡
古代~中世戦国編のご紹介でした。
次回は近世江戸時代から近代までを
ご紹介します。
江戸時代~明治時代まで
ご紹介した記事はこちらです
にかほ市の歴史と史跡
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