どーもKABUOです。
秋田県由利地方にかほ市の
歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。
今回は江戸時代に
仁賀保氏によって治められた
仁賀保陣屋の歴史と史跡をご紹介します。
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仁賀保陣屋の歴史と史跡をご紹介!🏯
にかほ市平沢清水仁賀保駅から程近く
町の中心街に位置する仁賀保陣屋跡、
地名から別名平沢陣屋とも呼ばれ、
推定東西180m・南北150の規模を持ち
中世の時代にはこの地に入部した
由利氏の館跡があった場所でもあります。
現在仁賀保陣屋跡は仁賀保神社・斎藤神社
仁賀保公園として整備利用され、
仁賀保発展の基礎を築いた
衆議院議員斎藤字一郎氏の
銅像が建てられています
仁賀保陣屋の歴史ですが仁賀保拳誠の
次男誠政・三男誠次によって
陣屋が構えられました。
仁賀保氏の出生ですが甲斐源氏小笠原氏流の
大井朝光の末裔と伝えられ、
戦国時代にはにかほ市小国の山根館を拠点に
近隣の矢島氏と勢力を争いながら、
強国大宝寺・最上・上杉氏と同盟を結びながら
巧みに戦国の世を生き抜きました。
1600年の関ヶ原の合戦の際では
東軍方の最上義光に味方し
上杉領庄内地方の遠征にも参加した事から
常陸国武田に知行所が与えられます
その後の大阪の陣では再び戦功を上げた事から
旧領仁賀保10000万石が与えられ
仁賀保藩が設立。
1624年、藩主仁賀保拳誠が亡くなると、
遺命によって領地は分割され
長男良俊7000石、次男誠政2000石、
三男誠次1000石が分封され旗本となり
仁賀保藩は僅か一年で廃藩となりました
その後長男良俊は
世継ぎが無いまま死去した為、
領土の一部は幕府によって接収され
本荘藩・矢島藩・幕府領へと
編入されましたが、
誠政・誠次の領地は領有が認められ
共同で管理するために仁賀保陣屋が設け、
以後両家によって明治時代まで存続され
この地の統治が行われました。
こちらの仁賀保神社・斎藤神社は
仁賀保氏の祖仁賀保友挙と
仁賀保氏中興の祖仁賀保拳誠、
斎藤字一郎氏が一緒に合祀されています。
現在仁賀保陣屋の遺構は
鳥居前の水堀跡だけが残されており
あまり見所が少ないですが、
にかほ市の歴史に興味ある方は
ぜひ訪れて欲しい場所ですので
観光の際はぜひ行ってみてください
こちらが史跡の場所です。
にかほ市の歴史と史跡
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