どーもKABUOです。
山形県庄内地方の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
前回の記事はこちらです
今回は酒田市中心街から
旧平田町・旧八幡町・旧松山町を含め
西郷隆盛を祀る南洲神社や
お米の保管場所として建造され
国指定史跡に登録されている山居倉庫等
幕末から近現代までの
歴史や史跡をご紹介します。
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酒田市の歴史と史跡をご紹介(幕末~近現代編)⚓
南州神社
江戸時代幕末
日本近海に外国船が接近するようになると
庄内藩でも酒田西浜で砲術演習を行い
藩士を飛島・吹浦に派遣をしました。
本間家も費用を提供し大砲1門を送るなどっg
資金面に際し協力を惜しみませんでした。
1868年、戊辰戦争に際し、
庄内藩は奥羽越列藩同盟の中心として
会津藩とともに新政府に最も激しく抵抗した。
酒田の町民で構成された兵386名も参戦し、
秋田方面や越後方面の戦闘に加わって奮戦、
本間家はじめ酒田の町人は藩のために
外国商人から鉄砲の購入を行うなど
協力な援助を続けた
このような町兵の活躍は近世初期以来の
自治の伝統を受け継ぐものであり、
戦乱下にあっても酒田を兵火から守り、
庄内藩降伏下で新政府軍一斉に
町内に進駐してきた中でも
混乱を発生させることなく
明治維新を迎える要因となりました。
こちらの南州神社は
西郷隆盛と菅実秀を祀った神社で、
庄内藩は戊辰戦争で新政府軍に
激しく抵抗したため厳しい処分を覚悟したが、
西郷の公明正大な極めて寛大な処分となった。
この大徳に感じた旧庄内藩家老菅実秀は
1875年、自ら旧庄内藩士と共に
訪鹿して西郷の教えを受け後に
その教えを受けた人達の手記を集め
「南州翁遺訓」を発刊しました
その遺徳をたたえ1976年に創建され
西郷さんの遺墨・遺品・研究資料や
明治維新関連資料が展示されています。
山居倉庫
近代の時代
飽海郡・田川郡を統括する酒田県が発足、
旧庄内藩士によって政務が行われましたが、
1874年に三島通康が県令として送り込まれ
酒田県は鶴岡県と改称され庁舎も
鶴岡に移されることとなりました。
明治中期から乾田馬耕の普及とそれに伴う、
耕地整理事業の推進の結果、
昭和10年代には
明治10年代の24倍に達し、
稲作の発展とともに米穀取引が盛んになり、
また鉄道の開通によって山居倉庫の支蔵が
各駅に設けられるなど、
等米の収蔵する倉庫が各地で作ら
酒田の経済は米穀取引を中心に
近代化の道を歩み始めました。
しかし1894年の庄内大地震、
1976年の酒田大火で
町が焼失倒壊するなど、
多くの災害に見舞われその道のりは
順風満帆の歩みでは決してありませんでした。
こちらの山居倉庫は1893年に建てられた
米の保管を行った倉庫で、
NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の
ロケーションの舞台ともなり、
2021年国指定史跡に認定されました
土門拳記念館
現在酒田市では庄内浜で漁獲された
新鮮な海の幸や、酒田ラーメン等の
ご当地グルメを積極的に発信している他、
山居倉庫・旧本間家本邸・鐙屋等
北前船で栄えた酒田商人の歴史遺構と
観光資源が豊富にそろう
魅力的な町並みとなっています。
山形県庄内地方にお越しの際は
ぜひ酒田市に観光に訪れてみてください。
以上酒田市の歴史と史跡のご紹介でした。
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こちらが各史跡の場所です。
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