KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

どーもKABUOです。 山形や東北を中心に旅を行い グルメ・スイーツ、温泉・サウナ 歴史や史跡に観光スポットなどを 紹介するブログを掲載しています。

酒田市の歴史と史跡をご紹介!(原始~古代編)⚓

どーもKABUOです

 

山形県庄内地方の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は酒田市中心街から

旧平田町・旧八幡町・旧松山町を含め

原始から古代にかけて

城輪柵や飛鳥神社や新田目城等の

歴史や史跡をご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

酒田市の歴史と史跡をご紹介(原始~古代編)⚓

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230110246j:plain


酒田市役所

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20220104131502j:plain

 

酒田駅

 

山形県酒田市は

北は遊佐町、南は鶴岡市の間に立地、

県内を貫流する最上川が市域の

ほぼ中央を西流して日本海に注ぎ、

重要港湾である酒田港と庄内空港があり

庄内地方では鶴岡市と並ぶ

経済都市として歩みました

 

酒田市の歴史ですが

1889年、町村制施行によって

飽海郡酒田町が発足。

その後市制施行を行い酒田市となると

近隣町村と合併を繰り返します。

2005年の平成の大合併では

平田町・八幡町・松山町と合併を行い、

新制酒田市が誕生すると

飽海郡のほぼ全域が市域となります

 

酒田は坂田・狭潟・砂潟とも書かれ

地名の由来は狭い潟の意とする説や

砂の干潟の意とする説などがあります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230105803j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230105733j:plain

 

城輪柵趾

 

原始古代の時代

最上川流域または支流に沿って

石器・縄文・弥生時代の遺跡が多数発見され、

また日本海上西方に浮かぶ飛島にも

縄文前期から晩期にかけての

蕨山遺跡や葡萄崎遺跡が発見されており

縄文時代に飛島と本土との間に

往来が行われていたことが考えられています。

 

7世紀頃より朝廷は

律令制の整備を進める一方、

東北地方の平定に力を注ぎ、

708年には越後国の北域に出羽郡を置き、

713年には最上・置賜2郡を割いて

3郡として出羽国を設置をした。

またこの地に出羽柵を築き、

国府を置いて近隣諸国や最上・置賜から

百姓を移して開発の進展を図ったとされます。

 

こちらの酒田市城輪にあります城輪柵趾は

出羽国府であったと推定される史跡跡で

国指定史跡に登録されています。

 

城輪柵趾の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230110438j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230204841j:plain

 

飛鳥神社

 

酒田市飛鳥地区は古代山形と秋田を結ぶ

宿駅が設けられていた記録が残され

当時は飽海駅と呼ばれ佐芸駅(鮭川村)と

遊佐駅(遊佐町)とを結ぶ駅家で、

古代交通上内陸経路で蝦夷勢力の強い

最上地方から雄勝郡(秋田県)に

北上することを避けて、

日本海側(庄内地方)に出た上で

秋田に向かったものと思われる。

 

こちらの飛鳥神社は774年に

大和国高市郡飛鳥神社から勧請され

807年に平城天皇が

十一面観音像を諸国に安置した際、

この社にも配され飛鳥大権現と

称したと伝えられる。

のちに神仏習合して飛鳥山観音寺とも称し、

中世にはこの地の豪族砂越氏の保護を受け、

戦国末期には最上氏によって

寺領47石余が寄進されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230204037j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230204106j:plain

 

一条八幡神社

 

旧八幡町の町名の由来となった

一条八幡神社。

877年、出羽国司藤原興世が

陸奥国蝦夷反乱鎮定のおり

京都府石清水八幡宮より

一条大泉郷に神霊を勧請、

朝廷軍による制覇を祈願したことが

神社創建の契機とされている。

 

翌878年出羽国の蝦夷が反乱をおこし、

秋田城を始め民家を襲った。

このため朝廷は援軍を送ると、

時の鎮守府将軍小野春風は一条八幡に祈願、

朝廷軍は勝利を収め、一条八幡神社は

国司や郡司の信仰を集めた歴史があります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211230212329j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20211213170218j:plain

 

新田目城跡

 

出羽国府のその後の足取りは不明な点が多く

どのように廃止に至ったか

分からない事がありますが、

1089年、後三年の役の後、

 一説には国府の移転地だと言われている

酒田市本楯に源義家配下の須藤氏を

出羽留守所職を命じ新田目城を築城、

国司の代わりに職務の代行を行ったり

また大物忌神社の宮司を勤めた等の

記録が残されています

 

新田目城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

以上酒田市の歴史と史跡を

原始~古代編のご紹介でした

次回は中世から戦国時代までの

歴史をご紹介します

www.yamagatakabuo.online

 

スポンサーリンク