どーもKABUOです。
山形県尾花沢市の歴史と史跡を
巡る旅に行ってきました。
今回は俳人松尾芭蕉が10日も滞在した
尾花沢市の宿場町の歴史や史跡、
現在の町並みの様子をご紹介します。
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たまに行くならこんな宿場町 山形県尾花沢市をブラリ旅🏚️
尾花沢館跡(尾花沢小学校)
宿場がありました
尾花沢市中心街の歴史ですが
宮城・山形を結ぶ軽井沢越街道、
山形と新庄・秋田を結ぶ羽州街道と
交通の要所の地であったため
古代より軍道が整備され、
中世の時代に差し掛かると
地域の土豪尾花沢氏による統治が行われ
現在の尾花沢小学校に館が設けられます。
1587年、村山地方の統一を目指す
最上義光は宿敵である天童氏を滅ぼすと
天童氏と同盟相手であった尾花沢氏は
最上方と同盟を組んだ
延沢城主野辺沢氏により滅ぼされると
尾花沢には郡代が派遣され統治されました
尾花沢小学校の南側には
深い空壕のような見受けられ
遺構がしっかりと残されています。
龍昌寺
関ヶ原の合戦後、
最上義光によって山形藩が立藩され
1622年、家中の乱れにより最上家は改易、
鳥居氏・保科氏と領主が変わる中
1634年、幕府領へと編入されます。
尾花沢は幕府直轄の領地では北限であった事や
最上川舟運を通り大石田河岸に運ばれる
荷物を宮城県まで運ぶ物流拠点であった事、
銀山より採掘される豊富な銀を
管理する必要があり、
尾花沢館があった場所に
尾花沢代官所が設けられ
以後幕末まで幕府の直轄地として
統治されました。
こちらの龍昌寺には善政を敷き領民に慕われた
尾花沢代官大貫次右衛門光證の
お墓が建立されています。
諏訪神社
尾花沢に宿場が設けられたのは江戸時代初期、
秋田県久保田藩佐竹氏による
羽州街道の整備が行われると宿場が設けられ
現在の上町・中町・梺町が発展を遂げ
多くの人々が往来活気があったとされます
「川の大石田」・「陸の尾花沢」とも呼ばれ
経済の中心地としても栄えた歴史を持ち、
毎年南部駒や小国駒の馬市が開催され
その規模は東北一とも呼ばれ
取引で大いに賑わいをみせました
こちらの諏訪神社は源義経の家来、
鈴木三郎重家の子孫が神託を受け、
諏訪大明神の像を柏樹の下に祀り
一族の守り神としたのが始まりとされ、
毎年8月27・28日に開催される
おばなざわ花笠祭りは諏訪神社の祭りで
諏訪神社例祭は馬市開きと
豊年祝いの日であり、
この場所で馬市が開催された歴史があります。
芭蕉・清風歴史資料館
養泉寺
1689年、「奥の細道」で著名な
俳人松尾芭蕉とその弟子曽良もこの地に訪れ、
世話役の鈴木清風は宿泊所に
養泉寺を用意すると
地元の俳人と交流を深めながら
長い旅の疲れを癒し10日間も滞在しました。
芭蕉の世話役を行った鈴木清風は
「紅花大尽」と呼ばれるほどの豪商でもあり、
吉原を3日3晩も貸し切り遊女達に
休養を与える等豪快な逸話が残されています。
尾花沢市では松尾芭蕉来訪を記念して
芭蕉・清風歴史資料館が開館され
歴史を学ぶ事が出来ます。
現在宿場町の面影を少し残すばかりですが
古い商店が並びレトロな風情が心地よく
松尾芭蕉が訪れた歴史を
感じる事が出来ますので、
ぜひ山形県を観光の際は尾花沢市の町並みを
ブラリ散策してみてください(*´∀`)♪。
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こちらが史跡のアクセス場所です。
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