どーもKABUOです。
山形県庄内地方の歴史と史跡を
巡る旅に行ってきました。
今回は鶴岡市湯田川温泉の
温泉街の様子と歴史をご紹介します。
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湯田川温泉の歴史と史跡をご紹介!
湯田川温泉街
山形県鶴岡市湯田川にあります
湯田川温泉は湯野浜温泉・あつみ温泉と
庄内三名湯のひとつにも数えられ
「鶴岡の奥座敷」とも呼ばれています。
その歴史ですが西暦712年、
傷を負った一羽の白鷺が傷を癒した事が由来し
「白鷺の湯」と呼ばれるようになりました
また目を病んだ牛が角で地面を突いて
噴出させたという伝説の残されており
諸説が色々とあるようです。
正面湯
泉質は硫酸塩泉。
動脈硬化・切り傷・火傷などに
効果がある言われており、
鎮静作用や血圧の降下作用も期待できます。
江戸期には庄内藩酒井氏の保養地にも使用、
出羽三山行者のわらじぬぎの歓楽郷として
賑わいを見せました。
新徴組本部跡(旅館隼人)
新徴組の墓地
幕末混乱期の1862年、
幕府は江戸市中取り締まりのため浪士を募り、
翌1863年、この浪士隊150名を
新徴組と改名し庄内藩に預け
その任に当たらせた。
1868年3月、
庄内藩江戸引き上げに伴い、
新徴組隊士とその家族も随行、
藩では湯田川の宿屋と
民家37軒に仮分宿させた。
戊辰戦争において新徴組は
鳥海山を越え秋田領の矢島を攻め、
また新潟県境の関川でも勇戦奮闘しました。
戦後旧藩士3000人による松ヶ丘開墾には
65名が参加したが次々と離脱して
現在では組士の末裔三戸が残っている。
こちらの隼人旅館は創業300年を誇り
新徴組の本部として使用された歴史があり、
また湯田川長副寺の裏山にはここで死亡した
組士とその家族20名の墓が残されています。
由豆佐売神社
長福寺
湯田川温泉では昔から
土曜の丑の日にあわせて
湯治をすると1年間
無病息災で暮らせると言われ、
古くから土用の丑の日に
由豆佐売神社では温泉清浄祭を行い、
前夜祭で温泉が清らかでけがれないよう
ご祈祷が行われ「湯田川温泉神楽」が
神社の大前に奉納される風習があります。
こちらの由豆佐売神社は
650年の創建と伝えられており
代々の領主をはじめ近郷庶民の崇敬厚く
最上義光や酒井家による社殿造営など
数々の寄進も行われました。
鶴岡市出身作家藤沢周平の
「たそがれ清平衛」の
撮影場所としも使用され
参道にあります湯田川の乳イチョウは
山形県天然記念物に指定されています。
由豆佐売神社に南隣の長福寺は
縁起によれば807年の開創で
かつては大和長谷寺の直末で配下7坊を従え、
由豆佐売神社の別当寺をつとめた
大変古い歴史を持つ寺院で
寺宝の絹本着色長福寺三千仏は県指定文化財、
堂内の石造金剛界大日如来正坐像、
笠塔婆・卒塔婆は鶴岡市指定有形文化財に
登録されています。
鶴岡市中心街からもアクセスも良好、
庄名地方の観光拠点としても最高です。
風情ある湯田川温泉にぜひ訪れてみて下さい
以上湯田川温泉の温泉街のご紹介でした。
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