どーもKABUOです。
山形県村山市の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は近世江戸時代宿場町として栄えた
楯岡地区の町並みを中心にご紹介します。
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村山市楯岡をブラリ旅🏚
楯岡城と堀跡
村山市楯岡地区の歴史ですが
南北朝動乱の最中である1356年、
北朝派武将で後の最上家の始祖、
斯波兼頼は山形に入部すると
山形城を拠点に寒河江大江氏等
次々と南朝派武将を武力で制圧を行い
山形県村山地方で勢力を拡大させました。
その後斯波から最上と改名を行い、
村山地方を統治すべく一族を
各地に配置を行いました。
山形城主3代目最上満直の時代、
四男満国を楯岡城に入城、
名前を楯岡氏と改名を行い
以降7代約190年にも渡り
楯岡地区を中心に統治を行い
城下町が形成される事となります。
しかし時代が流れ宗家最上家と対立すると
1584年、村山地方の掌握を狙う
最上義光との戦いに破れ城主楯岡満英は自害、
楯岡の地は義光の領地へと
組み込まれる事となりました。
楯岡城の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです。
1600年、関ケ原の合戦後、
義光は東軍勝利の功績が認められ
山形藩を立藩、
楯岡城には弟満直を入城させ
湯沢沼のを築堤、切り通しを開削等
本格的な城下町の整備が行われましたが、
1622年、最上家臣団による内紛により
最上家は改易となり
楯岡城は廃城となりました。
その後、山形藩は鳥居氏・保坂氏・松平氏と
めまぐるしく藩主の入れ替わりが
行われるなか、
楯岡地区は山形藩・幕府領・陸奥白河藩分領
上野館林藩分領となって明治を迎えました
最上氏時代は楯岡城を中心に
楯岡楯・楯岡馬場に城下町が整備され
楯岡まで結ぶ街道は町の東側にありましたが
久保田藩佐竹氏を中心に
羽州街道が整備されると
現在の楯岡五日町・楯岡晦日町に人々は移住、
現在の村山郵便局の場所に
本陣や旅籠屋が置かれ、
参勤交代や人々や荷物に往来が増え
宿場町として大変賑わった歴史があります。
愛宕神社(切通し)
1878年、郡区町村編制法施行により
楯岡地区には北村山郡役所が設置されると
北村山地方の政治・文化の中心地となり
県令三島通庸により切通しが
現在のように開かれ、
1901年、国鉄奥羽南線(現奥羽本線)が
楯岡まで開通し楯岡駅が置かれる等、
近代的発展を遂げる事となりました。
東沢バラ公園
最上徳内祭り
小松沢観音
現在村山市楯岡地区は
毎年艶やかに咲く東沢公園バラ祭りや
郷土英雄の北方探検家
最上徳内にちなんだ村山徳内祭りに
東京浅草寺に奉納される巨大わらじ等、
数々の見どころが盛り沢山です!
山形県村山地方を観光の際は
宿場町の面影残す楯岡地区に
ぜひ足を運んでみてください。
以上たまに行くならこんな宿場町
山形県村山市楯岡をブラリ旅のご紹介でした。
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村山市楯岡地区
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