どーもKABUOです。
山形県寒河江市の
歴史と史跡を巡って来ました。
今回は中世寒河江城を中心に形成され、
近世江戸時代には出羽三山詣で
宿場町として栄えた
寒河江市中心街を中心に
今でも残る古い町並みや街道とともに
町の歴史と史跡をご紹介します。
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山形県寒河江市をブラリ旅🏯
寒河江城址
寒河江城二の丸跡
寒河江市の町並みが形成された歴史ですが
1185年、奥州藤原氏討伐によって
戦功を上げた源頼朝家臣大江広元が
寒河江荘の地頭を任された事から始まり、
その後400年に渡り
寒河江の統治を行いました
広元の長男親広は寒河江荘を相続、
寒河江八幡宮を現在の場所に建立する等。
領国の経営を行いましたが
1221年、反鎌倉幕府を掲げる
後鳥羽上皇による承久の乱によって
上皇方でありました親広は戦いに敗れ失脚、
領国である寒河江に逃げ落ちました。
現在の寒河江市丸の内にあります
寒河江小学校近辺に
親広が館を設け居館したのが
寒河江城の前身だと言われています。
寒河江城の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです。
長念寺
長岡観音
寒河江小学校から少し北にあります
こちらの長念寺と長岡観音。
寒河江城三の丸地内にあり、
大江親広により祈願所として建立され
歴代寒河江城城主の崇敬を集めました
当初長岡観音堂は弘法大師空海の
高弟真済僧正が寒河江中心部の
長岡山に安置したとされています。
1868、寒河江・柴橋代官所の
総合庁舎を建設することになり
別当寺の長念寺に移されました。
現在最上三十三観16番札所として
多くの参拝客が訪れています。
寒河江大江氏の歴史を
詳しく紹介した記事はこちらです
寒河江市丸内の町並み
長念寺・長岡観音までの道中、
寒河江小学校西側には
古い味のある商店が多く並んでいます。
1961年、山形県道25号線
寒河江中央通りが整備される前まで
寒河江市七日町・西根を通り
河北町谷地まで結ぶ街道として
多くの人々が往来した歴史があり
レトロな町並みが楽しめる道沿いです。
寒河江城山門跡
(澄江寺)
大江知広公夫妻の墓
承久の乱の後大江氏の一族は罪を許され
鎌倉幕府中枢で政務を行いましたが、
政争に巻き込まれ失脚すると
領国である寒河江に逃れ土着します。
その後南北朝動乱の時代の
最上家始祖斯波兼頼との戦いを得て
大江氏8代時氏の時代、
名を寒河江氏と称し
(以降寒河江大江氏で統一します)
寒河江城を拡張する再整備が行われ
現在の寒河江市丸内を中心に
西町・上町・横町などの町場が造られ
城下町の形成が行われました。
こちらの澄江寺の山門は
寒河江城三の丸の辰巳門であったとされ、
寺院境内には澄江寺を開いた
寒河江大江氏13代知広夫妻の
墓が建立されており
寒河江市指定史跡に登録されています。
正覚寺
滝田門観音堂
戦国時代に入りますと
寒河江大江氏も戦国大名として
伊達・最上と各地で転戦を繰り広げましたが
1584年、山形城主最上義光との
戦いに敗れ寒河江大江氏は滅亡、
寒河江は最上氏に統治される事となり、
関ケ原の合戦後義光は山形藩を立藩、
領国経営を行い経済が発展されます
こちらの正覚寺は
最上義光の正室大崎夫人の
菩提を弔ったとの逸話が残されており、
関白豊臣秀次による一連の事件を受け
連座させられた娘駒姫の後を追うように
亡くなったとも言われています。
滝田門観音堂にあります
秘仏十一面観音像は
寒河江が最上領となった際、
大崎夫人が寒河江に移り住んだ時に
伝えられたといいます。
寒河江代官所跡
1622年、最上家が改易される
その後山形藩の領主は目まぐるしく変わり
寒河江は幕府領土に編入され
寒河江市柴橋に柴橋代官所
寒河江城二の丸跡地に
寒河江代官所が設けられ
以後幕末まで統治が行われます
江戸時代中期の頃より庶民の間で
伊勢参りに出羽三山参りが流行りだすと
寒河江は六十里越街道を通り
出羽三山へと巡る人々が往来する
宿場町として栄える事となりました。
寒河江市南町の町並み
古い酒造所や和洋菓子店があります
寒河江市南町。
寒河江市南町は山形城下や天童を結ぶ
旧山形・天童街道追分だった事もあり
出羽三山参りや行商が行き交う
とても賑やかな場所だった事が想像出来ます。
現在では飲み屋街が多く立ち並び
寒河江名物焼きとんは絶品ですので
ぜひ一度食べてみてください。
本願寺
桑名藩士の墓
(陽春院)
1868年、江戸時代の幕末
鳥羽伏見の戦いを皮切りに
旧幕府軍・新政府軍の戦いが激化するなか
寒河江にも時代の波が押し寄せます。
旧幕府方の庄内藩兵と桑名藩兵が新政府軍と
長岡山・臥龍橋近辺で激しく衝突しました。
こちらの本願寺は
戊辰戦争で桑名藩士が官軍と戦った際
宿泊所として使用された歴史があり
また陽春院には戦いで戦死した
桑名藩士が埋葬された墓が残されており
寒河江市指定史跡に登録されています。
寒河江駅
寒河江市本町
1921年、寒河江駅の開業に伴い
寒河江の町並みも駅を中心に発展、
駅の開業によりその後北に道路が造伸され
現在の寒河江市本町を中心に
町並みが形成されました。
寒河江温泉
1952年、地元の繊維会社が
糸の洗浄用水を得る目的で
井戸を掘削したことに端を発し
ボーイングを実地し開湯しました。
駅周辺には温泉宿が数件存在し、
2001年、駅の再開発が行われる前
日帰り入浴施設もあったそうです。
現在は寒河江駅から橋を渡った先に
足湯が整備されています。
寒河江八幡宮
現在町の再開発によって
昔ながらの町並みは消えてしまいましたが
寒河江大江氏の史跡や古い神社仏閣も多く
とても見ごたえがありますので
ぜひ山形県に観光のお越しの際は
寒河江市に足を運んでみてください。
以上たまに行くならこんな城下町
山形県寒河江市をブラリ旅でした。
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寒河江市の歴史と史跡
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こちらが史跡のアクセス場所です。
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