どーもKABUOです。
山形県西村山郡大江町の
歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。
今回は城下町として整備され
最上川舟運で栄えた大江町左沢の
古い町並みをご紹介します。
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山形県大江町左沢をブラリ旅
御免町
大江町左沢の町並みの歴史ですが、
1622年、山形城主最上家の改易によって
庄内地方に酒井忠勝が入部し庄内藩を立藩。
弟直次に左沢の領地を与えると
左沢藩を立藩し小漆川城を築城します。
直次入部前左沢の中心地は
左沢楯山城から南にあります
元屋敷に人々は集まり暮らしていましたが
現在の中央通り商店街を中心に
商工業者や移住させ城下町を形成、
内町・横町・原町・御免町等の
町割りを行い左沢中心部の
原型を築きました。
小漆川城・左沢楯山城の
歴史と史跡の記事はこちらです。
左沢八幡神社
(左沢代官所米蔵跡)
直次が1631年に跡継ぎがいないまま
早死にしたので左沢藩が取り潰されてしまい
小漆川城は廃城となりましたが
1647年、忠勝三男忠恒が
酒田市松山に領土を分与され松山藩を立藩。
左沢の領地も松山藩に組み込まれ
代官所が設置され以後幕末まで統治されます。
こちらの八幡神社は
元は左沢楯山城に鎮座されていましたが
利便性が悪く参拝しにくいとの理由で
酒井直次が現在の左沢易周辺に移転建立。
その後左沢代官所が管理する
米蔵があった場所に
再度移転され現在に至ります
内町
1694年、
米沢藩御用商人西村久左衛門により
白鷹町荒砥〜中山町長崎間
五百川峡谷や佐倉瀬などの
最上川の難所の開削が行われると
米沢藩の舟屋敷も設置され
特産品であります青苧や漆が上方にも送られ
左沢は最上川舟運の中継河岸として
大いに栄える事となりました。
横町
近代に入ると最上川舟運が衰退しましたが
1921年、左沢線が開通されると
翌年左沢駅が開業されそれにともない
小漆川城の旧城下町周辺から
駅の方に市街地が拡大しました。
左沢代官所跡
(大江町ふれあい会館)
1936年、子供の火遊びが原因で
中心街の多くの家屋が焼け落ちる
大火が町を襲います。
その後の復興計画によって
往来の道路は拡張整備されると
県道112号左沢・浮島線の新設や
月布川に架けるあらたな橋の工事が行われ
現在の町並みが完成される事となりました。
現在大江町ふれあい会館がある場所は
松山藩の代官所が置かれていた場所で
案内板が設置され詳しく歴史を
学ぶことが出来ます。
原町通り
現在大江町左沢は中心部は
「最上川の流通・往来及び左沢町場の景観」
として県内初の重要文化的景観として
国選定文化財に指定されており
楯山公園から望む左沢の町並みは超最高!
また最近では
まちなか交流館がオープンするなど
町ブラやカフェ巡りなんかもおすすめです。
山形県村山地方に観光のお越しの際は
ぜひ大江町左沢に訪れてみてください
以上たまに行くならこんな城下町
山形県大江町左沢をブラリ旅の
ご紹介でした。
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大江町の歴史と史跡
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