どーもKABUOです。
山形県西川町にあります中世の城郭跡、
沼ノ平館に行ってきましたので
城主東海林隼人や最上義光にまつわる
歴史やお城の史跡の様子をご紹介します。
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沼ノ平館の歴史と史跡をご紹介!🏯
西川町岩根沢にあります沼ノ平館。
別名沼ノ平城とも呼ばれ、
築城時期は不明ですが
館主は東海林氏と伝えられており
中世の時代、寒河江城主大江氏の支城で
海味・綱取の楯とともに
白岩城の支城であったとされています。
沼ノ平館は丸山薫記念館から
少し農道を通った場所にあり
立て看板が設置されていますが
岩根沢地区は豪雪地帯のため
春先に再度訪れたところ
案内板が撤去されており
おそらくは残雪が消えた5月・6月頃に
再度設置されると思われます。
縄張り図
(山形県中世城館遺跡調査報告書引用)
その館の規模ですが
東西50m、南北130mほどで
南側には二重空堀、北側には三重空堀と
堀切で尾根を分断しています。
主郭は1mほどの土塁で囲まれており、
本館の他の出城の要害森館と前山・楯山
綱取・水沢に各物見台を設置、
よほど大きな規模を持った
山城であったと推測されています。
沼ノ平館があります西川町岩根沢地区は
中世の時代より出羽三山へ登頂を目指す
登拝口のひとつであった為
修験者の修業の場として栄えました。
そのため内陸と庄内を結ぶ間道の
軍事戦略上重要な拠点として
この地に館を構えたと推測されています。
写真のように看板通りに道を直進しますと
左右に道が別れており、
右回りから道沿いに歩いたところ
お城の本丸に到着する事が出来ました。
春先に訪れた時の様子ですが
残雪が残り足元が滑りますので
初夏の季節か秋に訪れる事を
おすすめします。
館主東海林氏は河北町谷地城を居城する
白鳥氏に与力した国人領主とされ
戦国時代、館主東海林隼人の時代に
勢力を伸ばす白鳥長久の命を受けて
織田信長に名馬を献上した際の使者として
中央政権に対するパイプ工作を行う等
白鳥氏の重臣として活躍をみせました。
道沿いに歩きますと
こちらの写真の場所に到着します。
ここらへんが城郭の史跡跡となっており
二重堀跡から石碑がある
本丸へと向かうことが出来ます。
二重空堀跡
しかし1584年、
村山地方の統一を目指す最上義光によって
長久が山形城で謀殺され谷地城が落城。
義光嫡男義康に嫁いだ白鳥氏の息女、
日吉姫は東海林隼人を頼りに
沼ノ平館に逃げ落ち匿われました。
隼人は姫を守り鳥川(だいどころやしき)に
柵を設けて警護していましたが
月山超えの最上軍の襲撃にあい
抵抗を試みましたが姫の身を案じ、
隼人は最上氏と和睦を結び最上勢に降ると
西川町全域は最上氏の統治下に入り
義光の甥、松根光広が白岩城主となり
12000石の知行を得て
沼ノ平館もその統治下に入ったと思われます。
沼ノ平館本丸跡
その後、東海林一族は最上軍として
1600年、慶長出羽合戦に参戦し
庄内で奮戦したと伝記に残されており
現在館跡には石碑と案内板が立てかけられ
歴史や史跡の様子を伺う事が出来ます。
最上義光に関する史跡の中で
谷地城は知っていても沼ノ平館は
地味で知らない方も多いかと思いますが
中世の村山地方と庄内地方の様子がわかる
歴史的にも貴重な史跡だと思いますので
岩根沢三山神社と共にぜひ訪れてみてください
以上沼ノ平館の歴史と史跡のご紹介でした。
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西川町の歴史と史跡
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