どーもKABUOです。
山形県米沢市の歴史と史跡を
巡る旅に行ってきました。
今回は米沢市舘山にありますお城跡、
舘山城の歴史と史跡をご紹介します。
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舘山城の歴史と史跡をご紹介!🏯
舘山城
舘山城は標高350mの舘山に
築かれた連郭式の平山城、
規模は本丸東西400m・南北400m
二の丸東西2000m・南北1500mと
そうとうな規模をほこり、
主に伊達氏の支城として使用され
居城であります米沢城は平城であるため
防備の面が不安な事から事から、
平時の際は米沢城を中心に政務を行い
いざ戦が始まると舘山城に立て籠もり
戦うように築城が進められたと
考えられています。
国道121号線から
舘山城行きの看板がありますので
道沿いにそって進めばこちらに到着。
駐車場も完備されていますので
気軽に散策が可能です。
舘山城の場所はこちらです。
鬼面川
舘山城周辺を囲むように
鬼面川・大樽川・小樽川が流れ
簡単に攻め込むことが難しい
天然の要害となっており、
また米沢と会津を結ぶ
米沢街道沿いにあることから
街道の要所を抑える為に
築城されたものと考えられています。
舘山東館跡
伊達政宗生誕の地
舘山城の歴史ですが
詳しい築城年代は不明、
古くは奥州藤原氏の一族新田経衡の
居館であったと伝えられています。
新田氏は奥州藤原氏滅亡後、
長井荘へと入った長井氏に仕えましたが、
1380年、福島県伊達郡を本拠とする
伊達宗遠・政宗が置賜郡に侵攻を進め
その後長井氏は滅亡、
新田氏は伊達氏へと仕える事となりました。
駐車場にバイクを停めて散策しますと
こちらの舘山東館跡に到着。
舘山城を防衛する家臣団屋敷跡だとされ
井戸や石敷遺構、鉄製の短刀が埋納された
土壌などが発見されています。
舘山城大手口と登山口
1548年、伊達氏15代当主晴宗は
父稙宗との家督争い、天文の乱に勝利を収め
福島県桑折西山城から米沢に拠点を移した際、
舘山城は主城だったと考えられており、
新田氏はそのまま城代を務めましたが
1570年、新田義直の時代、
小松城主牧野久中とその子中野宗時は
伊達氏16代目当主輝宗に対し謀反を企て
義直は牧野氏と共に反乱に加担しましたが
輝宗によって反乱は鎮圧され
後に切腹を命じられる事となりました。
舘山城の大手口から主郭へと登る
登山道が整備されており
地元の有志の方が設置してくれた小屋には
舘山城の歴史が詳しく記載されていました。
登山道はゆるやかな斜面で歩きやすく
登山用のストックも完備されていますので
比較的に気軽に散策が可能です。
土塁跡
物見台跡
新田氏滅亡後、
1584年、伊達輝宗は政宗に家督を譲り
舘山城を隠居所として使用、
1587年、輝宗没後、
政宗は舘山城を中心とした
大規模な築城に取り掛かったと
記録に残されています。
しかし新たな築城工事が完了しないまま
1591年、豊臣秀吉の命により
宮城県岩出山へ移封となりました。
その後、蒲生氏・上杉氏が入部した際
石垣等の城の改修工事が行われましたが、
詳しい年代は不明ですが、
その後舘山城は廃城となりました。
舘山城主郭跡
現在舘山城は戦国時代の
貴重な遺構が残されている事から
2016年に国の史跡に指定され
特に頂上の主郭にあります
石垣はとても見応えがありました。
米沢市に観光にお越しの際は
舘山城の歴史や史跡を
散策してみてください
以上
舘山城の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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