どーもKABUOです。
山形県南陽市の歴史と史跡を
巡る旅に行ってきました。
今回は古い歴史を持つ
熊野大社の歴史をご紹介します。
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熊野大社の歴史と史跡をご紹介!
熊野大社大鳥居
熊野大社の大銀杏
熊野大社の歴史ですが
大同元年806年、平城天皇の勅命により
再建されたと伝えられており
日本三熊野の一つに数えられています
この頃の日本は蝦夷征伐によって
大和朝廷は徐々に東北に勢力を伸ばし
支配権を獲得していた時代でした。
この頃の様子を考察しました記事を
こちらでも記載してますので
ぜひご覧ください
石段下にあります約30mの大イチョウは
1087年、後三年の役の必勝祈願の際に
源義家によって植えさせたものと伝えられ
山形県天然記念物に指定されています。
土社神社本殿
熊野大社参道
社伝によれば1155年、
後白河天皇の即位のときに
天下泰平の祈祷を命じ、
以降勅願所になったと伝えられ
歴代統治者の信仰厚く、
伊達氏・最上氏・上杉氏の崇敬を受け、
社領の寄進や社殿の整備が行われ、
神仏習合の時代には熊野修験の
一大霊場として栄えた歴史を持ちます
熊野大社参道途中にあります
土社神社本殿は室町時代に
創建されたと推定されており、
本殿東隣にある二の宮神社とは
建造時期や様式など共通点が多く、
これらの二つの社殿は
熊野大社に現存する建物中では最も古く、
市内に残る中世の神社建造物として
貴重であることから
県指定文化財に登録されています。
安部右馬助碑
熊野大社の洪鐘
境内入り口に立つ
こちらの安部右馬助は
上杉氏の会津移封にともなって
上杉家家臣尾崎重誉の賠臣となり
関ケ原の戦いでは武功を挙げました。
その後、南陽市宮内の町割りや
南陽市一帯の開墾、白竜湖の大谷地開墾、
河川改修や堤造成などを推し進めて
米沢藩の体制を支え、
熊野大社の維持に務めた人物です。
熊野大社にあります洪鐘は
1626年、安部右馬助により寄進され
第二次世界大戦中に
全国的に金属の回収が命じられたが
文化財的な価値から免除された歴史があり
南陽市指定文化財に登録されています。
熊野神社本殿
熊野大社のご祭神は熊野大神様と呼ばれ
別名古事記の国産み物語に登場する
イザナギノミコトとイザナミノミコトです。
両方に共通する「イザナ」という意味は
誘うという言葉からきたもので
男女の愛の言葉を表現したものです。
日本で始めて夫婦の神様、
縁結びの神様としておまつりしています
(南陽市熊野大社公式ホームページ引用)
境内を散策しますと
良縁を求めるカップルや
県外からの多くの参拝者が訪れておりました。
二宮神社・三宮神社
本殿の裏側にあります
二宮神社本殿と三宮神社本殿。
夏場に訪れた際、参道には風鈴が・・・
風が吹くと風鈴の音色が静かに響き
こんな美しい文化がある
日本人に生まれて良かったと思います。
三羽のうさぎ
二宮神社・三宮神社の裏にあります
こちらの三羽のうさぎ。
熊野大社の本殿裏に、
うさぎが三羽隠し彫りされています。
いつ頃からか定かではありませんが、
うさぎを三羽見つけた人が
次々と大成功を収めたことや、
恋や願い事が成就したことから、
「願いが叶う」「しあわせになれる」と
言い伝えられています。
(公式ホームページ引用)
三羽のうさぎを探せば
しあわせになるとのことで
くまなく探しましたが
一羽しか発見できませんでした(ノД`)シクシク
また最後の三羽目は人から聞いたり
場所を教えてしまうと
ご利益がなくなると言われているので
自力で探す必要があるみたいです。
ウォーリーよりもクソ難かしいぜ〜。
三羽のうさぎもいいですが
社殿の彫刻も見事な物で
とても見応えがありましたので
良縁が恵まれるように
ぜに南陽市熊野大社に訪れてみてください
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