どーもKABUOです。
歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。
今回は中世のお城跡、
鮎貝城の歴史と史跡をご紹介します。
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鮎貝城の歴史と史跡をご紹介!
鮎貝城跡(鮎貝八幡宮)
白鷹町鮎貝にあります鮎貝城跡、
別名桜館とも呼ばれており
標高190mの城山の山頂から山腹にかけて
築城された輪郭式の平山城になります。
土塁造りの本丸、二の丸、三の丸に分かれ
内濠は川を利用した自然の
二重の水濠あったとされ
東には最上川が流れる事から
強固なお城だった事が想像できます。
かつて鮎貝城であった場所で
神社内を散策しますと
土塁やお濠等の史跡が残されています。
鮎貝城二の丸跡(八幡宮境内)
鮎貝城本丸跡
その歴史ですが
奥州藤原氏を頼りに京都から下向した
藤原安親が置賜の地を承り土着すると
1396年、安親から数えて
8代藤原成宗の時代、
白鷹町横田尻にありました横越館から
鮎貝のこの地に居城を移し
築城したのが始まりだとされ
郷名にあやかり鮎貝氏と名乗りました
鮎貝八幡宮の境内が
お城の二の丸跡だとされており
八幡宮の裏手から住宅街に向かった
小高い丘がお城の本丸跡になります
鮎貝城水堀跡
鮎貝城土塁跡
その後、置賜に進出を果たした
伊達氏の家臣となりましたが
独自性を保ち戦国期には
鮎貝郷とその周辺の地域が
鮎貝氏の一円知行地とされます
1587年、6代目城主鮎貝宗信の時代、
領土を隣接する山形城主最上義光と
婚姻関係を結び内通を図り謀反を企てます。
宗信の父宗重と次男宗定は鮎貝城を逃れ
宗信は義光の元へと逃亡を図りました。
鮎貝八幡宮の本殿裏には土塁跡
裏手にはお城の水堀が現在でも残されており
とても見応えがあります。
常光寺と常光寺層塔
上杉氏家臣中条氏が鮎貝城に
13000石で入城を果たしましたが
関ケ原の合戦後、上杉氏の領土は縮小され
その後米沢藩を立藩しました
こちらの常光寺は城主中条三盛の菩提寺で
境内にあります七重層塔は
県指定文化財に登録されています。
鮎貝八幡宮本殿
1615年、一国一城令により
鮎貝城は形式状廃城となりますが
以後は米沢藩の御仮屋として
鮎貝周辺の統治を行われ、
1664年、本庄氏の入城に伴い
以後城代を本庄氏が務め明治維新を迎えます
こちらの鮎貝八幡宮本殿は
1059年、源義家によって
創建されたと伝えられており、
1898年、鮎貝城二の丸跡の現在地に
社殿を移築し遷座されたもので
県指定有形文化財に登録されています。
お城自体それほど大きくはありませんが
激しい争いの形跡を見る事が出来ますので
白鷹町に観光のお越しの際は
ぜひ鮎貝城址まで遊びに来てください
以上
鮎貝城の歴史と史跡のご紹介でした。
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