KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

白鷹町 荒砥城の歴史と史跡をご紹介!🏯

どーもKABUOです。

 

山形県西置賜郡白鷹町にありますお城跡、

荒砥城の史跡調査を行いましたので

お城の歴史をご紹介します。

 

 

 

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荒砥城の歴史と史跡をご紹介!

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荒砥城跡(八乙女八幡神社)

 

西置賜郡白鷹町荒砥にあります荒砥城。

別名早乙女城・  石灘城とも呼ばれ

最上川右岸の標高218mの

八乙女ヶ丘に立地した単郭式の平山城です

 

築城年代は定かではありませんが

永長年間(1096年〜1097年)に

奥州藤原氏の家臣荒川次郎清泰によって

築かれたと伝われており

鎌倉時代には大江氏の一族であります

長井氏の支配下に入りました。

 

荒砥城にあります八乙女八幡神社は

源義家が石清水八幡宮を

勧請した事が始まりだとされ

この丘に弓矢を奉り八人の乙女に舞を踊らせ

戦勝祈願を行ったとの伝承が残されています

 

 

お城跡はこちらです、

 

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蛇井戸跡

 

八乙女八幡神社の参道脇にあります

こちらの蛇井戸跡には伝説が残されており

敵の攻撃をうけたとき空井戸の竜神に祈ると

不思議にも水が湧き溢れ空濠に水が充満して

敵の侵入を防ぐ

難攻不落の城になると伝えられ、

明治初期まで井戸の形跡が残されていました。

 

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八乙女八幡神社本殿

 

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 八乙女種まきザクラ

 

長井氏はその後南北朝時代の1380年、

置賜に侵攻を行った

伊達氏との抗争に破れ敗北、

荒砥城は伊達氏に接収されると

元中年間(1384年〜1392年)

伊達氏家臣馬場将監によって濠をめぐらし

城郭が整備されたと伝えられています

 

その後、荒砥城を中心に伊達氏の統治が進み

桑島和泉守・荒砥三郎・大立目氏が3代居城、

伊達領と最上領の境目に立地している事から

戦略上重要拠点だったと考えられており

伊達輝宗と最上義光との争いでは

輝宗が一時本陣を構えました。

 

八乙女八幡神社にあります

八乙女種まきザクラは荒砥城主桑島和泉守が

その庭前に植えたものと称され

昔はこの桜が咲いた時が

春の苗代に種をまく好期としたことから

通称種まき桜と呼ばれてきました。

 

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荒砥城空堀跡

 

神社内を散策しますと

お城の遺構が多く残されており

こちらの空堀もその一つで

昔、荒砥城へ登る正面の道は南であったそうで

城の東南には、鈎なりに水堀があり

あとはぐるりと空堀を巡らしていたそうです。

 

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御楯稲荷神社

 

1591年、伊達政宗が移封されると

蒲生氏領となり水野三郎左衛門が配され、

1598年、上杉氏領となると

直江兼続の家臣泉沢久秀が城主となり

城や八幡神社を修復したとされ

1600年、慶長出羽合戦の際は

最上領八ッ沼城(朝日町)や

畑谷城(山辺町)へと攻め寄せ落としました

 

こちらの御楯稲荷神社の由緒は

1596年、直江兼続が荒砥城の修復の時、

南郭内の鎮守である御楯稲荷神社の社殿を

修理崇拝せりと記されており

慶長出羽合戦の際、

こちらの御楯稲荷で戦勝祈願をしたといわれ

萩野・中川を進軍し迷っていると

御楯稲荷神社の白狐が現れ

道案内したと伝えられております。

 

八ッ沼城と畑谷城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

www.yamagatakabuo.online

 

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御役屋跡

(荒砥コミュニティセンター)

 

1601年、関ケ原の合戦後

上杉景勝と直江兼続は米沢に移封されると

荒砥城は米沢藩5支城の一つと数えられ

上杉氏重臣が代々城代を務め

1692年には御役屋が設置され

幕末まで使用されました

 

八乙女八幡神社の麓にあります

こちらの荒砥コミュニティセンターが

ある場所に御役屋があっと場所だとされ

荒砥小学校の跡地になります。

 

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荒砥城標識

 

お城の標高は高くありませんが

最上川を自然の堀に見立てたお城の造りや

八乙女八幡神社も見応えがありますので

白鷹町にお越しの際は

ぜひ荒砥城の観光に訪れてみてください

 

以上

荒砥城の歴史と史跡のご紹介でした。

 

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