どーもKABUOです。
山形県西置賜郡河北町の
歴史と史跡を巡る旅に行って来ました。
中世の城跡、谷地城・溝延城をはじめ
近世紅花栽培で栄えた同町の
歴史と史跡を1部・2部に分け
ご紹介しています
前回の記事はこちらです
今回は谷地城を中心に
この地を治めた白鳥氏や
近世江戸時代に紅花商家が栄えた
歴史や史跡を戦国〜近世・近現代と
ご紹介します。
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河北町の歴史と史跡をご紹介!(戦国谷地城と紅花商家繁栄偏)🏞
白鳥十郎長久の墓(東林寺)
谷地城主白鳥長久は巧みな政治手腕を発揮し
村山地方で存在感を示しましたが
村山地方の統一を目指す最上義光と対峙、
1584年、病気と偽り
山形城に呼び寄せた義光によって誘殺、
主君を失った家臣団は谷地城に籠城するも
最上軍によって攻め込まれ敗退し
谷地城は接収される事となりました。
河北町谷地にあります東林寺にあります
白鳥十郎長久のお墓は白鳥氏滅亡後
菩提寺でありました種林寺が廃寺となった為
それを引き継ぐ形をとり建立されました
谷地城本丸跡(三社宮)
1600年、東北の関ヶ原慶長出羽合戦の折
上杉軍が最上領土へと侵攻が行われると
尾浦城主下秀久は谷地城を攻略しましたが
東軍方の徳川家康の勝利により
上杉軍は撤退を行ったのですが
うまく情報伝達が伝わらず秀久は孤立、
谷地城に籠城するものの最上軍の猛攻によって
降伏を余儀なくされました。
その後、最上氏蔵入地として統治されましたが
1622年、 最上氏の改易により
谷地城は廃城、
河北町域は幕府領・新庄藩領へと分割統治され
明治維新を迎える事となります。
現在谷地城は宅地開発によって
遺構のその殆どは消失してしまいましたが
本丸の鬼門に建立された三宮社と土塁跡は
現在でも残されており
河北町指定史跡に指定されています。
紅花資料館
近世の江戸時代、
全国的に有名な最上紅花は
村山地方で生産されたもので、
紅花栽培には朝露の深かかる所がよく、
最上川河畔に多くの畑地をもつ
河北地区は村山地方の総生産量の
4分の1から3分の1を締め
栽培適地で最上紅花生産の中心地であり
また谷地地区は最上川舟運をひかえ
産業・交通・立地にも恵まれ
山形藩に次ぐ商業地として発展しました。
こちらの紅花資料館は
紅花の豪商として栄えた
堀米四郎兵衛の屋敷跡で
館内では紅花の栽培や歴史を学べる他に
館内には武器や生活用品および
古文書が5000点を保存しており
町指定文化財に指定されています。
いもこ列車(河北中央公園)
谷地駅跡(道の駅 河北)
近代の時代
明治末期から大正はじめにかけて
河北地方は農業蚕業をおもな産業とし
特産物として草履・清酒等の生産を行い
馬車などによって輸送していたが
輸送力に限界がありました。
河北町谷地の実業家升川勝作氏は
地域経済復興の手段として
大量輸送が必要であると痛感し
1915年、谷地軌道株式会社を設立し
谷地↔東根市神町間に5.6kmの軌道を敷設、
山形県内私鉄第1号として営業を開始し
1935年に廃止されるまでの約20年間
この地方の重要な交通機関として
活躍しました。
(現地案内板引用)
現在河北中央公園に
いもこ列車の愛称で呼ばれた
当時使用された蒸気機関車が展示されており
年6回の一般公開の際は
列車に搭乗することも可能です。
道の駅かほく
現在河北町ではさくらんぼの栽培や
全国一の生産を誇る国産スリッパ製造の他、
紅花を活かした観光産業や
ご当地グルメ谷地の肉そば等
様々な取り組みが行われております。
山形県に観光にお越しの際は
ぜひ河北町に訪れてみてください
以上、
河北町の歴史と史跡のご紹介でした。
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