KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

西川町の歴史と史跡をご紹介!(出羽三山信仰と中世の時代編)🏞

どーもKABUOです。

 

山形県西村山郡西川町の

歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。

同町を原始古代から近現代まで順を追って

1部・2部と分けてご紹介します。

 

今回は原始古代の時代から

湯殿山神社(大日寺跡)や

岩根沢三山神社(旧日月寺)等、

出羽三山信仰の始まりの歴史や

中世に寒河江に入部した大江氏の

鎌倉〜戦国時代の様子をご紹介します。

 

 

 

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西川町の歴史と史跡をご紹介!(出羽三山信仰と中世の時代編)

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西川町役場

 

西川町の歴史ですが

1954年、川土居、西山、本道寺、大井沢の

村々が合併し西川町が発足。

町名の由来ですが西山村と川土居村が両村の

頭文字をとって設置した西川中学校の名称に

由来しているといいます。

 

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西川小学校

 

原始時代

月山山麓の弓張平遺跡群から

先土器時代のナイフ形石器や

尖頭器が出土している。

縄文時代の遺跡としては

寒河江川に沿った段丘上の

月山沢・入間・的場などの各遺跡の他、

月山山麓の台地上に弓張平・岩根沢などの

縄文中期頃の遺跡が数多く発見されています。

 

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湯殿山神社(大日寺跡)

 

古代の時代

平将門の乱で戦いに敗れこの地に逃れた

将門の一族、志田弾正によって

西川町大井沢地区が開かれたとされ

八幡坂・弓張平・征矢形の地名は

源義家の進軍にちなむ

地名だと伝えられています。

 

こちらの大井沢地区にあります

湯殿山神社(大日寺)は

天長年間(824〜34年)

弘法大師空海によって建立されたとされ

その後荒廃しましたが1394年、

道智上人によって大日寺を再建されると、

「湯殿まで笠の波うつ大井沢」と

歌にまで詠まれるほど出羽三山へ向かう

白衣の行者によってうめつくされ

最盛期には宿坊は26軒を数え

大変栄えました

 

1908年の火災によって山門鐘楼を残し

一切消失してしまいましたが

大日寺繁栄の面影が残されており

寺院入り口にあります湯殿山碑や

境内にあります旧大日寺代参塔群は

西川町指定文化財に登録されています。

 

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阿弥陀堂跡阿弥陀屋敷

 

中世の時代

鎌倉時代の1189年、

大江広元は奥州藤原氏討伐の功績により

源頼朝から寒河江荘地頭を命じられると

多田仁綱を派遣し領土の経営にあたり、

西川町吉川地区の地名の由来ですが

仁綱は郷里摂津国吉川村に似た

この地を選び吉川村と名付けて

別館を建てたことが由来だとされます。

 

1221年、朝廷の復権を狙う

後鳥羽上皇による承久の乱が起こると

広元の子大江親元は後鳥羽上皇に与し

幕府軍と戦いますが敗北、

寒河江荘へと逃れ仁綱によって

吉川に匿われました

 

1225年、広元が没すると父の死を悲しみ、

鎌倉にあった親元の長男佐房に命じて

阿弥陀如来の尊像を彫刻させ

その胎内に広元の遺骨を納入し

阿弥陀堂を建てて父の霊を弔い

仁綱はその別当となって安中坊を開きます

 

1241年、阿弥陀堂は現在地に移築され

親元の死後この地に埋葬されると

安中坊は大江氏の宗廟として

寒河江荘の中で重要な地位を占め、

1584年、寒河江大江氏滅亡後も

安中坊の子孫は幕府から御朱印地を受け

別当をつづけましたが

明治維新の廃仏毀釈の際、

御朱印地が没収され阿弥陀堂は

解体される事となりました。

 

現在境内跡には

大江親元と多田仁綱の墓と言われる

五輪塔が残されており

西川町指定文化財として登録されています。

 

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岩根沢三山神社(旧日月寺)

 

南北朝時代

山形に入部した北朝方斯波兼頼と

南朝方大江氏との間で争いがあった時代です。

西川町岩根沢にあります岩根沢三山神社は

1387年、岩根沢口に開基され

長耀山日月寺と称し

出羽三山修験の根本道場として繁栄、

寺は3度の火災に見舞われましたが

1841年に本殿が再建され

国指定文化財に指定されています。

 

現在でも宿坊が残るなど

出羽三山の修験道を深く継承しており

羽黒町の手向よりも知名度は低いですが

山門や寺院はとても見応えがあり

西川町のおすすめスポットです。

 

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沼の平館跡

 

西川町綱取地区にあります沼の平館。

もとは大江氏の支城だったとされ、

内陸と庄内を結ぶ間道の

軍事戦略上重要な拠点として

この地に構えたと推測されており、

国人領主東海林氏によって

治められていました。

 

戦国時代、楯主東海林隼人の時代、

河北町谷地で勢力を伸ばす白鳥長久と与し

織田信長に名馬を献上した際

使者として与力を尽くしましたが、

1584年、最上義光によって

長久が山形城で謀殺され谷地城が落城します。

 

最上に嫁した白鳥氏の息女、

日吉姫は東海林隼人を頼りに

沼の平館に匿われました。

しかし月山超えの最上軍の襲撃にあい

抵抗を試みましたが姫の身を案じ、

隼人は最上氏と和睦を結び最上勢に降り

西川町全域は最上氏の統治下に入り

義光の甥、松根光広が白岩城主となり

12000石の知行を得ました。

 

その後、東海林一族は最上軍として

1600年、慶長出羽合戦に参戦し

庄内で奮戦したと伝記に残されており

現在館跡には石碑と案内板が立てかけられ

歴史や史跡の様子を伺う事が出来ます。

 

以上、

西川町の歴史と史跡

出羽三山信仰と中世の時代編の

ご紹介でした。

次回は近世江戸時代から

出羽三山修験の衰退、

そして近現代までをご紹介します。

 

次回の記事はこちらの

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