どーもKABUOです。
山形県西村山郡朝日町を
巡る旅に行ってきました。
原始古代の遺跡、 大隅遺跡や大沼の浮島、
中世の八ッ沼城や近世の最上川舟運等、
同町の歴史や史跡をご紹介します。
前回の記事はこちらです。
今回は戦国時代から近世江戸時代、
近現代までの歴史と史跡をご紹介します。
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朝日町の歴史と史跡をご紹介!(江戸時代時代〜近現代編)🏞
若宮寺鐘楼
1600年、関ケ原の合戦が起こると
東軍方最上軍と西軍方上杉軍が衝突、
直江兼続が指揮する上杉軍は
兵を四方に分散させ最上領土へ侵攻を進め
八ッ沼城・鳥屋ヶ森城を攻め落としましたが
徳川家康の勝利の報が達するや
兵を引き上げました。
その際上杉軍は若宮寺に火を放ち
退却したと伝わっております。
戦後、最上義光四男山辺義忠によって
若宮寺は現在地に移転され
山辺氏によって領地の統治が
行われておりましたが
また1622年、幕府の命により
最上家は改易される事となりました
こちらの若宮寺の鐘楼は
若宮寺二十世盛恬法印によって再建され
朝日町指定文化財に指定されています。
最上川
近世 江戸時代
最上家の改易後、庄内藩の成立より
酒井忠勝の弟、直次が大江町左沢を与えられ
左沢藩を立藩すると一部地域を除き
朝日町は左沢藩領へと組み込まれます。
しかし直次の急死により
一時幕府領となりましたが、
忠勝の次男、忠垣を松山藩に分封させると
左沢領も飛び地として松山藩の一部に組み込まれ
以降松山藩左沢領として明治維新に至るまで
酒井氏が統治する事となります。
1694年、
米沢藩御用商人西村久左衛門により
白鷹町の黒滝が開削し荒砥〜長崎(中山町)の
舟道が整備されると最上川を利用した
舟運が本格的に行われるようになり
特産品の青苧は全国有数の
生産量と品質を誇り上方にも運ばれました。
水口十一面観音堂
佐竹家住宅
写真の水口十一面観音堂は
朝日修験の第一遥拝所として栄えた歴史を持ち
旧水口観音堂が老朽化したために
庄内松山藩の大庄屋を世襲し
米沢藩の通船差配約を努めた
佐竹長右衛門家が中心となり当地に移築され
朝日町指定文化財に指定されています。
佐竹家住宅は先程紹介しました
佐竹長右衛門の住宅で
江戸時代中期の山形県内内陸部における
上層民家の遺構として保存状態も良く、
国指定重要文化財に指定されています。
旧西五百川小学校三中分校
近代 明治時代、
江戸期には青苧の産地でありましたが
明治期以降は養蚕に転じ、
畑は桑畑に換えられました。
最盛期には桑問屋が20軒、
蚕種製造家が宮宿には3軒
西五百川には3軒あり、
宮宿を中心に定期的に桑市が開催されましたが
しかし大正時代に差し掛かり
最盛期の半分に減じる事となりました。
こちらの旧西五百川小学校三中分校は
1882年に三中中学校として建てられ
当時としては稀に見る白亜の三階建校舎で
和風様式を基にしながらも
三階部の丸窓など西洋建築への
指向もうかがえる建造物であります
1995年、本校と統合し閉校となりましたが
貴重な建造物から山形県指定有形文化財に
登録されています。
朝日町 ワイン城
現在朝日町では寒暖差の気候を活かした
リンゴやブドウの栽培が盛んに行われ
リンゴを活かした特産品や
町内産ぶどうを使用した
ワイン製造が行われております。
山形県に観光に訪れましたら
ぜひ朝日町にお越しください。
史跡のアクセス場所はこちらです。
寒河江市・西村山郡の
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