KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

山形県朝日町の歴史と史跡をご紹介!🏞

どーもKABUOです。

 

山形県西村山郡朝日町を

巡る旅に行ってきました。

原始古代の遺跡、  大隅遺跡や大沼の浮島、

中世の八ッ沼城や近世の最上川舟運等、

同町の歴史や史跡をご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

朝日町の歴史と史跡をご紹介!🏞

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200906211824j:plain

 

朝日町役場

 

朝日町の歴史ですが

1954年、宮宿町、大谷村、西五百川村が

合併し朝日町が誕生。

町名の由来は山形県と新潟県をまたがる

朝日連峰が由来となります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200906213237j:plain

  

大隅遺跡

 

原始の時代

同町を流れる最上川流域の

段丘や山の斜面から

原始・縄文時代の遺跡が数多く発見され

古代より最上川の豊かな恵みを背景に

人々が集落を形成していた事が伺えます。

 

こちらの大隅遺跡は

約2万年〜1万7千年前の

旧石器時代の遺跡だと考えられており

朝日町指定文化財に登録されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200906215324j:plain

 

浮嶋稲荷神社

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200906215403j:plain

 

大沼の浮島

 

古代の時代

律令制下のもと朝日町全域は

出羽国最上郡に属しており、

平安時代の辞書、和名抄によりますと

山辺郷の西、八木郷を

比定する説もありますが

定かではありません。

 

こちらの浮嶋稲荷神社と大沼の浮島は

680年、山岳修験者役小角によって発見し、

その弟子覚道によって開山され

沼のほとりに祠を建立した事が

浮嶋稲荷神社の始まりだと

伝承として残されており、

寒河江大江氏、最上氏と

時の権力者からも厚く信仰され境内には

山形藩三代目藩主最上義俊が寄進した

石灯籠が建立され朝日町指定文化財に

指定されています。

 

また大沼の浮島は

沼に大小60余の島々が浮遊し

かつてはその動きから日本各地の吉兆を占い

時の政権に報告していました。

その神秘さから1925年、

名勝 大沼の浮島として

国の名勝地に指定されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200906230037j:plain

 

大行院

 

708年、

覚道は大沼坊(大行院)を開基すると

朝日山岳信仰の基地として

多くの信者を集めましたが

しかし強大な勢力を誇った事から

鎌倉幕府によって弾圧閉鎖されたとも

羽黒修験との勢力争い破れ

一時消失したともいわれています。

 

そして詳しい経緯は分かりませんが

その後朝日修験は復活を果たし

1600年、最上義光と上杉景勝による

慶長出羽合戦のおり、大行坊が最上氏に

景勝軍勢が庄内から内陸へ朝日岳を超える

間道を切り開いていると注進し

別当職を安堵されている

記録が残されております。

 

また江戸時代には幕府の祈願所として

127石の朱印地を所有、

大沼地区には三十三の宿坊を擁し

また出羽三山修験の道中にあることから

宿泊や案内で賑わいを見せました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200907155404j:plain

 

八ッ沼城跡

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200907155437j:plain

 

春日沼

 

中世の時代 

1189年、奥州藤原氏討伐の功により

大江広元は寒河江荘を与えられ

その後、名を寒河江氏と改め

現在の朝日町を含め西村山郡一帯を

統治する事となります。

 

南北朝時代に差し掛かると

寒河江氏は南朝方に属していた為、

村山地方に入部した北朝方の武将、

斯波兼頼(最上氏の祖)と

度々抗争する事となりました。

 

八ッ沼城は南北朝時代に

南朝方の武将によって築城されたとも

文明年間(1469〜87)、原越後守によって

築かれたとも伝わる

春日沼の自然の堀を活かした山城になります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200907170916j:plain

 

若宮寺

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200907170941j:plain

 

福昌寺

 

朝日町には八ッ沼城以外にも

中世には何人かの国人衆が楯を構えており

新宿には岸美作守義満の鳥屋ヶ森城、

和合には和合但馬守秋広の

和合楯が確認されており

各国人衆が寒河江氏の元でか

各地域を統治していたと推測されます。

 

しかし戦国時代に差し掛かりますと

1565年、村山地方の領土拡大を狙った

最上義守・義光親子によって

八ッ沼城と鳥屋ヶ森城は攻め落とされ落城、

この戦いは五百川合戦とも呼ばれ

その後、最上義光により接収され

支城として使用されました

 

こちらの若宮寺と福昌寺は

五百川の合戦で討死した

八ッ沼城主原氏と鳥屋ヶ森城岸氏の

菩提寺になります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200907231334j:plain

 

若宮寺鐘楼

 

1600年、関ケ原の合戦が起こると

東軍方最上軍と西軍方上杉軍が衝突、

直江兼続が指揮する上杉軍は

兵を四方に分散させ最上領土へ侵攻を進め

八ッ沼城・鳥屋ヶ森城を攻め落としましたが

徳川家康の勝利の報が達するや

兵を引き上げました。

その際上杉軍は若宮寺に火を放ち

退却したと伝わっております。

 

戦後、最上義光四男山辺義忠によって

若宮寺は現在地に移転され

山辺氏によって領地の統治が

行われておりましたが

また1622年、幕府の命により

最上家は改易される事となりました

 

こちらの若宮寺の鐘楼は

若宮寺二十世盛恬法印によって再建され

朝日町指定文化財に指定されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908004308j:plain

 

水口十一面観音堂

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908005121j:plain

 

最上川

 

近世 江戸時代

最上家の改易後、庄内藩の成立より

酒井忠勝の弟、直次が大江町左沢を与えられ

左沢藩を立藩すると一部地域を除き

朝日町は左沢藩領へと組み込まれます。

しかし直次の急死により

一時幕府領となりましたが、

忠勝の次男、忠垣を松山藩に分封させると

左沢領も飛び地として松山藩の一部に組み込まれ

以降松山藩左沢領として明治維新に至るまで

酒井氏が統治する事となります。

 

1694年、

米沢藩御用商人西村久左衛門により

白鷹町の黒滝が開削し荒砥〜長崎(中山町)の

舟道が整備されると最上川を利用した

舟運が本格的に行われるようになり

特産品の青苧は全国有数の

生産量と品質を誇り上方にも運ばれました。

 

写真の水口十一面観音堂は

朝日修験の第一遥拝所として栄えた歴史を持ち

旧水口観音堂が老朽化したために

庄内松山藩の大庄屋を世襲し

米沢藩の通船差配約を努めた

佐竹長右衛門家が中心となり当地に移築され

朝日町指定文化財に指定されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908165400j:plain

 

旧西五百川小学校三中分校

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908165624j:plain

 

近代 明治時代、

江戸期には青苧の産地でありましたが

明治期以降は養蚕に転じ、

畑は桑畑に換えられました。

最盛期には桑問屋が20軒、

蚕種製造家が宮宿には3軒

西五百川には3軒あり、

宮宿を中心に定期的に桑市が開催されましたが

しかし大正時代に差し掛かり

最盛期の半分に減じる事となりました。

 

こちらの旧西五百川小学校三中分校は

1882年に三中中学校として建てられ

当時としては稀に見る白亜の三階建校舎で

和風様式を基にしながらも

三階部の丸窓など西洋建築への

指向もうかがえる建造物であります

 

1995年、本校と統合し閉校となりましたが

貴重な建造物から山形県指定有形文化財に

登録されています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908173019j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200908173045j:plain

 

朝日町 ワイン城

現在朝日町では寒暖差の気候を活かした

リンゴやブドウの栽培が盛んに行われ

リンゴを活かした特産品や

町内産ぶどうを使用した

ワイン製造が行われております。

山形県に観光に訪れましたら

ぜひ朝日町にお越しください。

 

以上

朝日町の歴史と史跡のご紹介でした。

 

ランキングに参加しています

記事の内容がよろしければ

バナークリックをお願いします

にほんブログ村 旅行ブログ 東北旅行へ
にほんブログ村

 

 

史跡のアクセス場所はこちらです。

 

スポンサーリンク