KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

山形県朝日町の歴史と史跡をご紹介!(朝日修験と戦国時代編)🏞

どーもKABUOです。

 

山形県西村山郡朝日町を

巡る旅に行ってきました。

原始古代の遺跡、  大隅遺跡や大沼の浮島、

中世の八ッ沼城や近世の最上川舟運等、

同町の歴史や史跡をご紹介します。

 

 

 

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朝日町の歴史と史跡をご紹介!🏞

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朝日町役場

 

朝日町の歴史ですが

1954年、宮宿町、大谷村、西五百川村が

合併し朝日町が誕生。

町名の由来は山形県と新潟県をまたがる

朝日連峰が由来となります。

 

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大隅遺跡

 

原始の時代

同町を流れる最上川流域の

段丘や山の斜面から

原始・縄文時代の遺跡が数多く発見され

古代より最上川の豊かな恵みを背景に

人々が集落を形成していた事が伺えます。

 

こちらの大隅遺跡は

約2万年〜1万7千年前の

旧石器時代の遺跡だと考えられており

朝日町指定文化財に登録されています。

 

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浮嶋稲荷神社

 

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大沼の浮島

 

古代の時代

律令制下のもと朝日町全域は

出羽国最上郡に属しており、

平安時代の辞書、和名抄によりますと

山辺郷の西、八木郷を

比定する説もありますが

定かではありません。

 

こちらの浮嶋稲荷神社と大沼の浮島は

680年、山岳修験者役小角によって発見し、

その弟子覚道によって開山され

沼のほとりに祠を建立した事が

浮嶋稲荷神社の始まりだと

伝承として残されており、

寒河江大江氏、最上氏と

時の権力者からも厚く信仰され境内には

山形藩三代目藩主最上義俊が寄進した

石灯籠が建立され朝日町指定文化財に

指定されています。

 

また大沼の浮島は

沼に大小60余の島々が浮遊し

かつてはその動きから日本各地の吉兆を占い

時の政権に報告していました。

その神秘さから1925年、

名勝 大沼の浮島として

国の名勝地に指定されています。

 

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大行院

 

708年、

覚道は大沼坊(大行院)を開基すると

朝日山岳信仰の基地として

多くの信者を集めましたが

しかし強大な勢力を誇った事から

鎌倉幕府によって弾圧閉鎖されたとも

羽黒修験との勢力争い破れ

一時消失したともいわれています。

 

そして詳しい経緯は分かりませんが

その後朝日修験は復活を果たし

1600年、最上義光と上杉景勝による

慶長出羽合戦のおり、大行坊が最上氏に

景勝軍勢が庄内から内陸へ朝日岳を超える

間道を切り開いていると注進し

別当職を安堵されている

記録が残されております。

 

また江戸時代には幕府の祈願所として

127石の朱印地を所有、

大沼地区には三十三の宿坊を擁し

また出羽三山修験の道中にあることから

宿泊や案内で賑わいを見せました。

 

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八ッ沼城跡

 

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春日沼

 

中世の時代 

1189年、奥州藤原氏討伐の功により

大江広元は寒河江荘を与えられ

その後、名を寒河江氏と改め

現在の朝日町を含め西村山郡一帯を

統治する事となります。

 

南北朝時代に差し掛かると

寒河江氏は南朝方に属していた為、

村山地方に入部した北朝方の武将、

斯波兼頼(最上氏の祖)と

度々抗争する事となりました。

 

八ッ沼城は南北朝時代に

南朝方の武将によって築城されたとも

文明年間(1469〜87)、原越後守によって

築かれたとも伝わる

春日沼の自然の堀を活かした山城になります。

 

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若宮寺

 

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福昌寺

 

朝日町には八ッ沼城以外にも

中世には何人かの国人衆が楯を構えており

新宿には岸美作守義満の鳥屋ヶ森城、

和合には和合但馬守秋広の

和合楯が確認されており

各国人衆が寒河江氏の元でか

各地域を統治していたと推測されます。

 

しかし戦国時代に差し掛かりますと

1565年、村山地方の領土拡大を狙った

最上義守・義光親子によって

八ッ沼城と鳥屋ヶ森城は攻め落とされ落城、

この戦いは五百川合戦とも呼ばれ

その後、最上義光により接収され

支城として使用されました

 

こちらの若宮寺と福昌寺は

五百川の合戦で討死した

八ッ沼城主原氏と鳥屋ヶ森城岸氏の

菩提寺になります。

 

以上、朝日町の歴史と史跡

原始古代から戦国時代までのご紹介でした。

 

次回は最上川舟運送で栄えた

近世江戸時代から近現代までを

ご紹介します。

 

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