どーもKABUOです。
旅に行ってきました。
上山市の歴史を原始古代から
中世戦国時代、近世江戸時代
そして近現代と二部に分けてご紹介。
今回は原始古代の史跡
土矢倉古墳群・葉山須恵器窯跡
中世戦国時代の高楯城、中山城の
歴史を中心にご紹介します。
上山市の歴史と史跡をご紹介(原始古代〜中世戦国時代編)⚔️
上山市の歴史ですが
1889年、町村制施行によって
鶴脛町、十日町、二日町、新丁、裏町、北町
長清水村、河崎村が合併し上山町が発足。
1954年、昭和の大合併のおり
西郷、本庄、東、宮生、中川の村々と
上山町が合併し上山市が誕生しました。
上山小学校
上山の地名の由来ですが
古くは『神山』又は今の山形に対して
『上の山形』といわれていたが
延文年間(1356~1360)に最上満長が
当地を領し、上山殿と称したことから
『上山』となったと伝えられています
(上山市公式ホームページ引用)
土矢倉古墳群
葉山須恵器窯跡
(日本の宿古窯)
原始古代の時代
宮川中流にあります須田板、牧野、楢下
山元地区の大森遺跡からも痕跡が
見つかっています。
712年、陸奥国から
置賜・最上の2郡が分けられて
出羽国が設置されると上山は最上郡に属し、
886年、最上郡はその後、最上・村山の
2郡に分かれると最上郡に属しました。
蔵王長寿園の裏庭にあります
土矢倉古墳群は6世紀頃に造られた古墳で
埴輪を伴う県内でも珍しい古墳で、
武人塚とも呼ばれ三基の古墳が確認されており
県の指定文化財に登録されています。
また山形県屈指の老舗旅館古窯さんには
8世紀後半から9世紀頃とみられる
須恵器を焼成した窯跡が発見され
こちらも県指定文化財に登録されています
高楯城
中世の時代
1403年、最上直家の次男頼直が
天童に封じられその子満長が
上山に分封されて亀ヶ岡山(虚空蔵山)に
高楯城を築城します。
戦国期、最上郡と置賜郡の郡境にありました
上山の地は最上氏と伊達氏との間で
激しく領土を争いが行われておりました
1535年、高楯城主上山義忠によって
天神森と呼ばれた小丘に上山城を築城し
城を中心に集落が発達、
政治・軍事の拠点として町造りが行われます
高楯城の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです
中山城
大将塚
その後、上山義忠、満兼によって
上山は統治されておりましたが
確執によって上山氏は滅ぼされと
最上氏家臣の里見氏がこの地を統治します。
1600年、東北の関ヶ原
慶長出羽合戦のおり中山地区にあります
中山城から上杉軍が上山に侵攻を進めましたが
里見氏が奇襲をかけこれを撃退、
最上軍の勝利を呼び寄せました。
こちらの大将塚は慶長出羽合戦の際
激戦地だった場所で
上杉軍大将木村親盛がこの場所で討死、
戦いが終わったあと村人達が相計り、
荒れた農地を直し塚を築き碑を建て、
木村親盛の霊を弔い供養して祀ったものです
その後、里見氏、坂氏と
それぞれ居城しましたが
1622年、最上家臣団による内紛によって
幕府から改易を命じられる事となりました
中山城の歴史と史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです。
以上、
上山市の原始古代~中世戦国時代までの
歴史と史跡のご紹介でした。
次回は近世江戸時代から近現代までの
歴史と史跡をご紹介します。
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