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上山城の歴史と史跡をご紹介!(上山藩の歴史編)🏯

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どーもKABUOです。

 

山形県上山市の歴史と史跡を

巡る旅に行ってきました。

前回上山城の戦国時代の歴史と史跡を

ご紹介しました。

 

前回の記事はこちらです

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今回は上山藩の立藩から

明治戊辰戦争までの歴史と史跡を

ご紹介します。

 

 

 

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上山城の歴史と史跡をご紹介!(上山藩の歴史編)🏯

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春雨庵と沢庵和尚

 

最上家改易後、上山城に

能見松平家の松平重忠が4万石で

入城し上山藩を立藩しましたが

僅か4年ほどで摂津三田藩に転封されると

1626年、陸奥会津藩主蒲生忠郷の弟、

蒲生忠知が入部します。

直後の1627年、兄忠郷の死去のため

特例により蒲生家の家督を継ぎ       

伊予松山藩に転封される事となりました。

 

1628年、下総相馬より土岐頼行が

2万5000石で入部を果たすと

翌年江戸幕府の激しい宗教統制から起こった

紫衣事件でこれに強く抗議を行った

京都大徳寺の沢庵禅師が

上山の地に配流されると

頼行は松山に春雨庵を新築して迎え

手厚く待遇し禅師の指導を仰ぎ、

親子二代にわたり

上山藩政史上格別の治積をあげ

上山城を整備し小規模ながらも

奥羽の名城と称えられる事となりました

 

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上山城西内堀

 

しかし1691年、土岐氏

越前野岡藩に転封される事となり

上山藩は一時幕府直轄領へと編入され

本丸にありました三重の天守

櫓門や水堀が埋め立てられ

廃却される事となります

 

1692年、飛騨高山藩から金森頼時が

加増を得て3万8700石で入城し

二の丸に館を設けたのみとなり

羽州の名城と呼ばれた面影は

消え去りました。

 

現在当時の面影を残す

堀跡がお城の西側に残されており

この堀はどこから水が補給されるのか

いまだに判然としない

不思議な堀となっております。

 

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浄光寺

 

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上山武家屋敷

 

1697年に金森氏は美濃郡上藩に転封。

同年備中庭瀬藩より藤井松平家

松平信通が入部すると上山城の再興を果たし

藤井松平家によって明治時代まで

上山藩は統治される事となりますが

財政難に苦しみ重い税負担を強いたところ

度々一揆が起こるなど

不安定な藩政だったようです。

 

写真の浄光寺は上山温泉を発見した

月秀上人によって開山と伝えられており

藤井松平氏菩提寺として定められ繁栄、

また藤井松平氏の時代に上山城東に

武家屋敷が整備され森本家、 三輪家、山田家

旧曽我家と現在でも使用され

近くには旧藩学校明新館跡地もあり

城下町の風情が残されておりました

 

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月岡神社

 

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観音寺大日堂

 

1868年、戊辰戦争が始まると

幕府軍へと味方し奥州越列藩同盟に参加、

新政府軍に肩入れした秋田久保田藩

侵攻を進めましたが

新庄藩の突然の離反により敗退、

その後、庄内藩とも行動を共にしましたが、

米沢藩の降伏によって戦況が変わり

上山藩も降伏し新政府軍に恭順し

戊辰戦争を終えるます

そして1874年、廃藩置県が行われ

上山藩は廃藩され上山城は廃城となりました。

 

写真の月岡神社は

藤井松平氏が入部された際に

徳川家康と共に始祖である松平利長

姉川の戦い長篠の戦い

小牧長久手の戦いに徳川家康に恭順し

武功を立てた松平信一を祀った

東照宮を創建しましたが

上山城が廃城となり藩主藤井松平氏

東京へと移り住み東照宮も奉遷されると

利長、信一の御霊を

一旦日枝神社遷座した後に

1877年、月岡神社が創建されると

御霊を再び奉遷座しされ

長く上山の鎮守神として

多くの参拝者が訪れております。

 

観音寺大日堂は

上山藩の御霊の宮でありましたが

こちらも領主の上京と共に神霊も移され

現在では大日如来が安置され

上山市指定文化財に登録されています。

 

以上

上山城の歴史と史跡のご紹介でした

 

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上山城の歴史と史跡

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