どーもKABUOです。
山形県東村山郡山辺町の
歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。
前回は原始古代から中世戦国時代の
歴史をご紹介しました
前回の記事はこちらです
今回は近世江戸時代から近現代までを中心に
山野辺城の歴史や世界の良心と讃えられた
安達峰一郎氏の生家等
山辺町の歴史と史跡をご紹介します。
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山辺町の歴史と史跡をご紹介!(近世~近現代編)🏯
山野辺城趾(山辺小学校)
山辺城の歴史ですが
前九年の役(1051年~1062年)、
須賀川山辺氏によって
築城されたのが始まりとされ
その後、山辺氏は最上氏一族により
組み込まれる事となりました。
近世の時代
関ヶ原の合戦後、最上義光は山形藩を立藩。
四男義忠は1万9300石与えられ
名を山野辺義忠と改め城主となると
治世の安定を図るなどの善政を行いましたが
1622年、最上家は改役を命じられ
山野辺城は廃城、義忠は岡山藩へと流罪となり
35歳から46歳までの12年間
幽閉生活を送ります
1633年、
徳川家光の命により水戸藩主徳川頼房に
その身柄が預けられ1万石を得て
水戸藩家老職へと異例の抜擢を受けると
徳川光國の教育係を任せられる等、
山野辺一族は生涯に渡り
水戸藩に置ける重要な役職を
務めあげる事となりました。
山辺城は住宅街の開発によって
お城の遺構は殆ど残されておりませんが
山辺小学校周辺を歩きますと
城下町の風情を感じる町並みをしており
町中を散策しても面白いかと思います
山野辺城の歴社や史跡を
詳しく紹介した記事はこちらです
山野辺陣屋跡
最上家改易後、鳥居・保科氏と
山形藩の領主は目まぐるしく変わる中、
1644年、松平直基が入部すると
山辺の幕府直轄の領地へと編入され
山野辺城跡には代官所が置かれる事となります。
1823年、白河藩に阿倍正権が入部すると
山辺・大蕨・鮨洗・金澤・柳澤・岡・成生
大谷・大暮山・用・深澤・伏熊・上下萩野戸の
飛び地を統治する事となり山野辺城二の丸跡に
山野辺陣屋を設立する事となりました
明治維新後、大部分は解体されましたが
陣屋で使用された玄関は山辺小学校に移築され
山辺町指定有形文化財に登録されています。
安達峰一郎生家
明治時代、
山辺町旧高楯村出身の安達峰一郎氏は
メキシコ・フランス・ベルギーで大使を
歴任された優秀な外交官でした
また欧米列強が中心となる世界外交の中
アジア系では初となる常設国際司法裁判所
(現在の国際裁判所)の所長にも就任し
国際平和に尽力し多大な功績を残されました
しかしその後、
満州事変や日本の国際連盟脱退等に苦悩し
心臓病を患いこの世を去る事となります
現在彼の生まれた生家は町で保存され、
敷地内に隣接する北部公民館には
同氏に関連する様々な資料が展示され
彼の功績を現代でも伝えておりました。
玉虫沼農村公園
オリエントカーペット
現在山辺町では米・さくらんぼ
ラ・フランス・イチゴの栽培の他に
江戸時代より染色業の発達から
ニットや手織りの絨毯等、
繊維業が盛んに行われ、
全国的にも有名なオリエントカーペットの
本社は山辺町にあります。
また豊かな自然や温泉にも恵まれ
毎年玉虫農村公園では
ラベンダー祭り等が開催され
多くの観光客が訪れております。
山形県に観光にお越しの際は
ぜひ山辺町に訪れてみてください。
以上、
山辺町の歴史と史跡のご紹介でした
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