KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

尾花沢市の歴史と史跡をご紹介!(近世江戸時代~近現代編)🍉

どーもKABUOです。

 

山形県尾花沢市の歴史と史跡を巡る

旅に行って来ました。

前回は原始古代から中世戦国時代の

歴史をご紹介しました

 

前回の記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

今回は近世江戸時代から近現代までを中心に

尾花沢代官所や松尾芭蕉と鈴木清風の歴史

花笠祭りの発祥等をご紹介します。

 

 

 

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尾花沢市の歴史と史跡をご紹介!(近世~近現代編)

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 知教寺

 

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野辺沢満延、光昌の墓碑

 

江戸時代

関ヶ原の合戦後、最上義光は

山形藩を立藩し藩政を務めましたが、

1622年、 最上義光の死後、

家臣団の内乱が相次ぎ幕府により

最上家は改易を命じられると

延沢城主、野辺沢光昌は

熊本の加藤家に預けられ

1626年、失意の内に

病死してしまいました。

 

こちらの知教寺は光昌により開基されたお寺で

元々は延沢地区にあり

名前を竜雲寺と称していましたが、

1635年に現在地に移転し

寺号を龍雲山知教寺に改めます。

現在境内には延沢城主満延、光昌父子の

墓碑が残されおり、

山門は延沢城の裏門を移築したと

伝えられています。

 

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毛倉館跡(芦沢稲荷神社)

 

芦沢地区にあります毛倉館跡、

館主芦沢折部は最上義光の配下で

勇名を馳せましたが最上家が改易後は

この地にとどまり土着し帰農したとされ、

その後1768年、

この地に芦沢神社が創建される事となりました

 

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尾花沢代官所跡

(稲荷愛宕両神社)

 

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大貫次右衛門光證の墓

(龍昌寺) 

 

最上家改易後、

鳥居氏、保科氏が入部した後に

1634年、尾花沢地区一帯は

幕府領へと編入され幕末まで

江戸幕府によって直接統治される事となります

 

当初、延沢銀山の重要性から

銀山に陣屋が設けられましたが

1658年、銀の採掘の減少により

重要性が失われ

延沢銀山陣屋は廃止されましたが

羽州街道の宿駅でもある尾花沢は

出羽国の幕府領支配の拠点として

重要視された事から

1744年、尾花沢楯跡地(尾花沢小学校)に

尾花沢代官所が設置され

統治される事となります。

 

尾花沢小学校隣にあります

稲荷愛宕両神社は1783年、

早川伊兵衛とその手代たちが建てたもので、

龍昌寺に埋葬されている大貫次右衛門光證とは

1844年、尾花沢代官所に赴任し

天保大飢饉に際して領民の救済につとめ

幕府の天保の改革を徹底させるなど

以降病没するまでの15年間、

民政に優れた手腕をふるい

生前より大治大明神・大貫大明神と崇拝された

名代官でありました。

 

延沢銀山の歴史を詳しく

紹介した記事はこちらです 

www.yamagatakabuo.online

 

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織部館跡(名木沢楯)

 

尾花沢市名木沢地区にあります

国分織部氏の織部館跡。

ここは織部坂とも呼ばれ

上の原から名木沢地区を結ぶ

旧羽州街道沿いでもありました。

江戸時代、名木沢地区に

宿場町が整備されると国分織部氏の子孫が

本陣、問屋、名主、番所などの

要職を担った歴史が残されております

 

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鈴木清風邸跡

 

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養泉寺

 

1689年、全国を行脚しておりました

松尾芭蕉は弟子の曽良と共に

奥の細道、最大の難所と言われた

山刀伐峠を越え尾花沢宿に到着すると

江戸で交流を持っていった

鈴木清風の元に訪れます。

 

紅花商人であった清風は

商売の傍ら俳諧をたしなんでいた事から

芭蕉と交流を持つようになり

尾花沢に訪れた際手厚くお世話し

芭蕉がゆっくり休める様

宿泊所として養泉寺を用意しました

 

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芭蕉・清風歴史資料館

 

芭蕉も

「かれは富める者なれども、

志卑しからず。都にもをりをり通いて

さすがに旅の情を知りたれば、

日ごろとどめて、長途のいたはり、

さまざまにもてなしはべる」

と感謝の言葉を残しており

長旅の疲れ癒すため、10日ほど

尾花沢に滞在した記録が残されております。

 

尾花沢市中心街には松尾芭蕉にまつわる

史跡が多く残され、

芭蕉・清風歴史資料館では

芭蕉が尾花沢に滞在した記録や

清風の人柄を伝えた展示物が並んでおり、

また養泉寺は最上三十三観音25番札所で

毎年多くの参拝者が訪れています

 

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諏訪神社

 

源義経の家来、

 鈴木三郎重家の子孫が神託を受け、

諏訪大明神の像を柏樹の下に祀り

一族の守り神としたのが始まりとされ

江戸時代から参詣者が増大、

寛政年間、大改修を行い

現在地に移転される事となり

東北一の馬市が開催され賑わった

歴史のある神社になります。

 

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明治天皇御小休所跡

 

近現代、明治時代を向かえ

明治天皇が東北を巡幸するにあたり

初代山形県令三島通庸により

1878年、猿羽根峠道の改修が行われ

新しく三島新道が開かれる事となります

1881年、尾花沢に訪れた明治天皇は

上の原地区でご休憩された後、

猿羽根峠を越え新庄市へと向かいました

 

三島新道を詳しく記載はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

 

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徳良湖

 

大正時代の初期頃、

米価の高騰から尾花沢地方では水田開発が

盛んに行われるようになります

 

更なる開発を試みようと

1919年、地元の豪商高宮常太郎は

開田するため貯水池の築防の計画、

完成するまで2年の月日と

2万人の人夫が着工に携わり

完成したのが現在の徳良湖でした。

この時、つらい土木作業のかたわら

人夫達によって歌われた土搗歌が

徐々に変化し生み出されたのが

花笠音頭の起源だとされています

 

徳良湖は現在整備かされ

キャンプ場やテニスコート等

大人も子供も遊べる広場が広がっており

また近くには温泉施設もあり

週末は家族連れで賑わいをみせております。

 

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 毒沢地区と猿羽根大橋

 

名木沢地区を結ぶ猿羽根大橋

こちらの大橋が出来る以前は

渡し船を使って最上川を横断し

地区を行き交いしておりました

 

大正13年の冬

花嫁一行を乗せた渡し船が

転覆し花嫁を含め3人死亡する

悲惨な事故が起こります

その後、地元住民の嘆願により

1973年に猿羽根大橋が完成されました

 

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尾花沢駅跡(現パレットスクエア) 

 

徳良湖の開発によって尾花沢地区では

多くの米が増産されるようになると

米の輸送を可能にするために

1926年、尾花沢・大石田町の間に

尾花沢線が開通、花列車と呼ばれ

地元の人達に親しまれておりましたが

しかし、道路交通の発達により

利用者が減少し

1970年、廃線となりました。

 

現在駅跡地には商業施設が建てられ

尾花沢観光物産協会があるなど

多目的施設として活用されています

 

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現在、尾花沢市では

農業や畜産が盛んに行われており

寒暖差の激しい夏場に生産される

甘くて美味しい尾花沢のスイカや

尾花沢牛は特産品として有名です

山形県に観光にお越しの際は

ぜひ尾花沢市に立ち寄ってみてください。

 

以上

尾花沢市の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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