KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

尾花沢市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~中世戦国時代編)⚔️

どーもKABUOです。

 

山形県尾花沢市の歴史と史跡を巡る

旅に行って来ました。

尾花沢市の歴史や史跡を

古代~近現代史と時代を順に追いながら

1部、2部に分けご紹介します

 

今回は原始古代から中世戦国時代までの

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

尾花沢市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~中世編)⚔️

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200627161531j:plain

 

尾花沢小学校

 

尾花沢市の歴史ですが

1889年、町村制が施行され

尾花沢村、福原村、宮沢村、玉野村、

常磐村が成立。

1897年、尾花沢村が町制を施行し

尾花沢町となります。

 

そして1954年、

昭和の市町村の大合併が行われた際

上記で記載しました各村々と合併を行い

新星尾花沢町が誕生した後、

1959年、市制施行を行い

尾花沢市が誕生しました。

 

尾花沢の地名の由来ですが

 アイヌ語の「オ・ハナ」(川下の端)に由来し、花と美称地名を当てたとする説がある。またアイヌ語の「オ・バネ」(山の峰・、赤い粘土地)に由来し、「尾羽根」と当て、ススキ・「尾花(おばな)」が群生し「沢」が入りくんだ地であったことから「尾花沢」と変化した説、租税に鷲や鷹の尾羽根を納めたことに由来する説などもあるという。

「尾花沢」の地名の由来

(こちらのサイトを引用しました)

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200626231232j:plain

 

兵沢遺跡

 

原始古代の時代

尾花沢市内には縄文早期から晩期の遺跡が

約80ヵ所確認されており

朧気川、丹生川、牛房野川流域には

多くの遺跡が分布しています。

 

737年、続日本記によると

大野東人が雄勝の蝦夷を討伐を行った際、

陸奥国加美郡色麻柵から

出羽国最上郡玉野までの道路を開いたと

記録に残されており、現在の鍋越峠沿いや

廃道となりました軽井沢越最上街道だとされ、

古代より軍道として使用された

歴史が残されておりました。

 

こちらの尾花沢市原田にあります兵沢遺跡は

詳細な情報は詳しくはわかっておりませんが

古代・中世の豪族の楯跡だとされており

鍋越峠の要所の地に築城された事から

古代において主要な場所だったと考えられ

市の史跡文化財に登録されています。

 

軽井沢越最上街道の歴史を

詳しく紹介した記事はこちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180927191510j:plain

 

伊豆七所神社

 

名木沢地区にあります伊豆七所神社。

今からおよそ千五百年前、

第十五代応神天皇の第二王子、

大山守の命が王位継承に関し

謀反を起こし追われる身となり、

北へ向かって逃れてきたが

新庄の関屋で追討使に捕われ

処刑することになった

 

大山守に命は覚悟なされ

「我が身を七刀に切って

都に似た土地に葬ってくれ」と

遺言を残した。

 

ところが、

追討使が謝って王子の身を

八つに切ってしまった。

 

七つの身はそれぞれ

新庄近辺に七所明神として

七ヶ所に祀られているが

残りの一片を最上川をさかのぼり

国越えをしてここ、六角壇に

投げ捨てられたとされている。

そして、一本の杉を植えて

追討使は立ち去ったと

伝えられております。

(福原ふるさと保存会引用)

 

遺体の一部を投げ捨てられた事から

「投げ沢」呼ばれるようになり

名木沢地区の由来の

一説となっています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200627154334j:plain

 

順徳天皇天子塚

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200627154436j:plain

 

御所神社

 

中世の時代

1221年、鎌倉幕府を打倒し

朝廷の復権を計るため

第84代順徳天皇は退位して

父、後鳥羽上皇と共に恭兵を行いましたが、

朝廷側が敗北し後鳥羽上皇は隠岐の島、

順徳上皇は佐渡島へ流配されます

 

しかし順徳上皇は家臣阿部常次郎頼時と共に

密かに島を脱出し日本海を渡り、

最上川をさかのぼって大石田に上陸し、

尾花沢の船形山(御所山)に潜伏し

その後、山を下り上の宿に御所を構えました

 

こちらの天子塚は

1246年、順徳天皇が崩御された際

創建された天皇陵だとされており

その後、頼時は当地に聖廊を建て

御所神社となります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200627161737j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200629163636j:plain

 

延沢城(霧山城)

 

1584年、延沢城主野辺沢満延は

尾花沢地方屈指の強大な勢力を誇り

天童城主天童頼貞と同盟を結び

村山地方統一を目指す最上義光と

激しく争っておりましたが、

義光による調略を受け

最上氏配下に加わると。

その後、野辺沢氏は同じ同盟軍でありました

尾花沢小学校にありました尾花沢館主、

尾花沢氏を攻め立て武功を上げ

天童氏は滅亡に追い込まれました。

 

延沢城の歴史と史跡を

詳しく紹介した記事はこちらです 

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180725214634j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200629163804j:plain

 

荒楯跡(荒楯不動尊)

 

荒楯不動尊があるこちらの場所は

野辺沢氏家臣で尾花沢群代を務めた

荒楯十郎の館跡があった場所です。

 

後に本町薬師坂の上に楯を移し

楯跡に荒楯不動堂を祀ったとされ

その後、長瀞城に群代として入部した

遠山外記の侵攻によって荒楯は落城し

荒楯十郎は討死しました。

現在は受験合格にご利益があるとして

広く信仰されております

 

その他にも鶴子楯・西原堀ノ内楯・兵沢楯

野尻楯・上柳渡戸楯・母袋楯・北郷楯

二藤袋楯・行沢楯・毒沢楯・寺内楯

寺内八幡楯・丹生西楯・牛房野楯と

数多く中世の城・楯跡が残されており

国人衆は時の情勢を見ながら

巧みに戦国の世を渡っておりました。

 

以上

尾花沢市の原始古代から中世戦国時代までの

歴史と史跡のご紹介でした。

次回は近世江戸時代から近現代までの

歴史と史跡をご紹介します。

 

次回の記事はこちらの

リンクをクリックしてください

www.yamagatakabuo.online

 

ランキングに参加しています

記事の内容がよろしければ

バナークリックをお願いします

にほんブログ村 旅行ブログ 東北旅行へ
にほんブログ

 

スポンサーリンク