KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

村山市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~中世戦国時代編)⚔️

どーもKABUOです。

 

山形県村山市の歴史と史跡を巡る

旅に行ってきました。

今回は村山市の歴史と史跡を

時代を順に追いながら

1部、2部に分けご紹介します

 

今回は原始古代から中世戦国時代までの

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

村山市の歴史と史跡をご紹介!(原始古代~中世戦国時代編)⚔️

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614102447j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614103838j:plain

 

村山駅

 

村山市の歴史ですが1889年、

楯岡村と湯沢村が合併して町村制が施行され

新生楯岡村が発足すると

1892年、町制され楯岡町になります

1954年、楯岡町・西郷村・大倉村・戸沢村

大久保村・富本村・柚崎村が合併。

1955年、大高根村を編入し

市制を施行し村山市が発足します

 

しかし、

最上川東部沿いと西部沿いでは

文化や歴史的発展が違う事から

近代になっても違和感が拭えず

両地区の対立は深く市長選挙の際は

双方から立候補者が出て激しく争うなど

政争のまちと呼ばれた歴史がありました。

 

村山駅には楯岡荒町で作製された

巨大わらじが展示されており、

1941年、東京浅草寺を信仰しておりました

楯岡村出身の松岡俊三によって

雪害問題の解決記念と日支事変の

戦勝祈願を込めて奉納された事から始まり

現在でも10年に一度、

楯岡荒町地区の住民によって作製され

浅草寺に納められております

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614102637j:plain

 

村山市役所

 

地名の由来ですが、合併に際し名称は、

当時の経済の中心地であった

楯岡の名が候補に上がりましたが、

合併他村との協議を経て、

この地方の総称を生かし村山地区の

中核都市へという意気込みと期待感をもって

「村山」と名付けられました。

( 村山市公式ホームページ引用)

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614111235j:plain

 

中村遺跡縄文公園

 

原始の時代

村山市は先土器時代から弥生時代までの

遺跡は88を数え県内でも屈指の

遺跡数が確認されており

主に最上川周辺の河岸段丘、

東部山麓、西部山麓で発見されました。

 

こちらの中村遺跡縄文公園は

縄文時代中期の遺跡集落跡になり、

多く出土品が発見されていることから

村山市における中核的な集落であったと

推定されております。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614112005j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614112036j:plain

 

河島山遺跡

 

古代の時代、律令制のもと

出羽国最上郡に属しておりましたが

886年、最上郡が二分され、

南が最上郡、北は村山郡となったので

当市域は村山郡に属するようなります。

律令体制が崩れて荘園が成立すると

11世紀頃には当市域は摂関家領小田島荘の

荘域に入っていたと思われる。

 

こちらの河島山遺跡は

旧石器時代を始め縄文・弥生・古墳

鎌倉・室町時代の板碑や五輪塔など

遺物、遺構が発見されており

古代蝦夷が築城したチャシ跡、

中世の城郭跡とも考えられており

県指定文化財に登録されております。

 

小田島荘の歴史を詳しく

記載した記事はこちらになります。

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614115728j:plain

 

鬼甲城跡(富並楯)

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614115757j:plain


頼義のスギ

 

村山市富並にあります鬼甲城跡、

康平年間(1058~1065)の頃

京都を落剝した落合入道大淋が

一族を連れてこの地に移り住み

鬼甲城を築城した事から始まりました

 

その後、朝廷と奥羽六群を統治した

安部氏の争乱、前九年の役のおり

安部氏一族と共に源頼義によって

鬼甲城は攻め滅ぼされたいわれ

富並八幡神社には戦勝記念として

頼義が植えたとされるスギの木が残されており

市の天然記念物に指定されております。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614194015j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614194048j:plain

 

大久保城(大久保小学校) 

 

中世の時代

足利尊氏と後醍醐天皇が争った

南北朝動乱の時代、

1356年、山形に入部した

北朝派武将、斯波兼頼は山形城を拠点に

周辺地域の南朝派武将討伐を行います

 

斯波兼頼はその後、最上と改名し

村山地方を掌握すると領国支配の方法として

一族封策がとられ各地に庶子を分封、

1398年、山形城主3代目最上満直の三男、

最上満頼を大久保城に

1407年、四男最上満国を楯岡城に封じ

村山市全域の統治を行いました。

 

大久保城は当初現在の宝鏡寺周辺に

築城されたとされており、

最上義光が村山地方掌握した後、

家臣大久保主馬介によって新しく整備され

現在でもお堀がしっかりと残されており

見ごたえがあります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614195842j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614200150j:plain


楯岡城跡

 

戦国時代

最上満国は楯岡城に入部後、楯岡氏と改名、

以降7代約190年にも渡り

楯岡地区を中心に統治を行いましたが

1577年、宗家である山形城主最上義光と

分家である天童城主天童頼貞が対立すると

楯岡城主、楯岡満英は天童氏に与します。

また本飯田を拠点とする飯田氏や

その他、東村山、北村山を中心とした

有力国人衆と天童八楯と呼ばれる

同盟連合軍を結成し最上義光に対抗し

見事撃退する事に成功しました。

 

しかしその後、最上義光は

国人衆に対し懐柔政策を行い調略すると

天童八楯連合軍は瓦解、

1584年、最上義光の猛攻により

天童城が落城すると楯岡満英は自害、

同じ一族である楯岡満茂が家督を相続し

以降、義光の片腕として多くの戦いに

従軍する事となります。

 

楯岡城の歴史と史跡は

こちらの記事で詳しく紹介しています

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200611230902j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200612221812j:plain


白鳥城と白鳥不動尊

 

天童城落城後、

村山地方の統一を目指す最上義光は

次なる調略の一手を討ちます。

河北町谷地城を居城とする白鳥長久を

病と偽り山形城に呼び寄せ刺殺を行います

白鳥城は白鳥氏の居城だったのですが

白鳥長久の時代に河北町谷地に居城を移し

白鳥城は廃城となりました。

 

白鳥城と白鳥長久の歴史と史跡は

こちらの記事で詳しく記載しています

www.yamagatakabuo.online

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614203946j:plain

 

土中田楯跡(大宮神社)

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614203845j:plain

 

飯田楯跡

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614210902j:plain

 

渓永寺

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200614212712j:plain

 

三吉スギ

 

村山地方を統一した最上義光は

家臣団を村山地方各地に配置しました。

土中田楯・富並城・大久保城の

築城、改修を行い領国の統治を行います

 

家臣飯田播磨守は元は飯田楯を居館とする

天童八楯の一員でありましたが内応に応じ

その後最上家の家臣として迎え入れられ

山形市飯田に移封を命じられ飯田楯を築城。

東北の関ヶ原、慶長出羽合戦の最中、

畑谷城の救援に駆け付けるが城は落城。

追われて逃げてくる領民を避難救出するため

上杉軍と戦い討死してしまいました。

 

村山市土生田にあります渓永寺は

飯田播磨守の菩提寺でお墓も残されており、

裏山にあります三吉スギは

市天然記念物に登録されております

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200615194121j:plain

 

楯岡の石鳥居

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20200615194211j:plain

 

小松沢観音

 

楯岡地区にあります石鳥居は

最上義光の父、義守の寄進または

鳥居忠政の寄進とも伝えられており

 建立の対象は甑岳か小松沢観音堂だと

伝えてられており、

 

楯岡の石鳥居から山沿いを進むと

最上三十三観音第20番札所

小松沢観音堂に到着します。

737年、行基が弥陀・薬師・観音の

3尊を掘ってこの地に安置し、

巖上三所権現と称したのが始まりとされ

山門の仁王門には楯岡荒町の

巨大わらじが奉納されております

 

以上

山形県村山市の原始古代~中世戦国時代の

ご紹介でした。

 

次回は村山市の近世近代史を

ご紹介します。

 

次回の記事はこちらの

リンクをクリックしてください

www.yamagatakabuo.online

 

スポンサーリンク