どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は古くは津軽地方の中心都市であった
弘前市の歴史と史跡を
古代〜戦国時代から近世〜現代までを
2部に分けてご紹介します。
前回の記事はこちらです。
今回は江戸時代津軽地方を
統治した弘前藩や
歴明治時代から近現代までの
歴史と史跡をご紹介します
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弘前市の歴史と史跡をご紹介!(近世江戸時代〜近現代編)🏯
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革秀寺
江戸時代
1600年、関ヶ原の戦いの最中、
家臣の内乱もありながらも
徳川家康に味方をしていた為合戦後、
本領を安堵され弘前藩を立藩します。
1607年、津軽為信が京都で死去すると
1608年、2代目藩主津軽信枚は
遺骨を革秀寺に持参し葬儀が行い、
廟所を建造し埋葬しましたため
毎年7月5日、津軽藩祖 瑞祥院様菩提供養会が
行われ為信を偲んでおります。
津軽為信の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
弘前城
弘前藩を立藩した津軽為信は生前、
守りの手薄な堀越城からの移城を計画を行い
1603年、岩木川と土淵川に挟まれた
高岡に新城の着工を行いました。
為信の死後、信枚に築引き継がされると
1610年、本格的な築城が行われ
1611年に完成すると弘前城を中心に
城下町が形成され弘前市の基礎を築きあげ
250年にも渡り津軽地方の統治が行われました。
弘前城の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
長勝寺
津軽家代々の菩提寺、長勝寺。
もとは種里地区に創建されたお寺でしたが
大浦城、堀越城と移された後、
弘前城の築城にあたり1615年、
現在地に移転され建立されました。
この場所はかつて茂森山と呼ばれ
山を削り長勝寺門前と茂森山の間に
堀を通し土塁が築きあげられると
長勝寺を中心とする寺町が形成され
禅林三十三カ寺と呼ばれ
多くの寺院が建ち並んでおります。
最勝院
1656年に建造された
こちらの最勝院の五重塔は
津軽統一の過程で戦没した敵味方を
供養するために建立されたもので
国指定文化財にも指定されており
とても見ごたえがある寺院でした。
弘前八幡宮
山車展示館
弘前八幡宮は津軽為信の祖、
大浦光信によって再興され、
弘前城の鬼門の押さえとして
現在地に勧請されました
1682年から始まった例大祭は
当初は祇園祭のような
大型人形屋台の山車を引き
町中を練り歩くスタイルだったのですが
明治1882年まで行われましたが
その後中止となってしまし
ねぷた祭りに取って変わってしまいましたが
山車展示館で当時の様子を観覧する事が
できます。
旧陸軍第八師団司令部跡
明治時代。
戊辰戦争のおり新政府軍に与した津軽藩は
野辺地で旧幕府軍に与した南部藩と
小規模ながら争う事となります。
その後、廃藩置県が行われると
南部地方と合併し弘前県が発足。
弘前を中心に都市作りを計画されますが
合併された旧南部領土との確執や、
穀倉地帯になりうる平野部が少ない事を考慮し
その後、現在の青森市に県庁所在地が移され
青森県が発足することなります。
県庁所在地の移転にともない
弘前では人口流出や
1876年の町を襲った大火によって
町は一時衰退するのですが
1894年に青森~弘前間に鉄道が開通され
陸軍第八師団司令部が設置されると
軍人やその家族の来住が多くなり
また文明開化の風俗が入り込む事によって
洋風建築も多く建造される事となりました。
青森銀行記念館
1904年に建造された
第五十九銀行本店本館
国指定文化財に登録されており
弘前を代表する洋風建築物になります。
弘前市内を歩けば旧青森図書館や
弘前カトリック教会等、
弘前城城下町の古い町並みが残るなか
近代建築物も多く並んでおり
人気観光スポットとなっております
弘前ねぷた祭り
現在弘前市では青森県の特産品、
リンゴの栽培が盛んに行われており
世界遺産白神山地や津軽富士と呼ばれる岩木山、
津軽を代表するねぷた祭りや城下町弘前等
魅力溢れる観光スポットが目白押しです
弘前ねぷた祭りを楽しめる
観光スポットを
紹介した記事はこちらです
青森県に観光に訪れの際は
ぜひ弘前市まで訪れてみてください。
以上、弘前市の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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