どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は鰺ヶ沢町にあります
種里城の歴史と史跡をご紹介します。
種里城の歴史と史跡をご紹介!🏯
種里城址
津軽氏発祥の地、種里城。
その歴史は 1491年、
赤石川の上流にあります種里集落に
大浦光信によって築城されました。
大浦光信像
南部氏20代目当主南部信時の時代、
十三湖を中心に津軽地方を統治した
津軽安東氏の勢力を押さえる為、
同じ一族であります久慈郡を治めていた
光信を種里に配置し事から
種里城の歴史が始まります。
光信公御廟所
光信は周辺豪族との争いを制すると
1502年、弘前市岩木地区に拠点を移し
大浦城を築城して子の盛信を置きますが
光信はそのまま種里城に残り、
1526年、67歳でこの世を去ります
「将師としての威厳を少しも欠くことなく
甲冑を着し剣を帯び鎧透しの短刀をさげ腰に
大螺をつけ立つにままの姿ぬして
巽に向けて埋葬せよ。
これによって自分は神となって
外国の敵が領内に侵入しないように
万代までもここに留まり
にらみをきかせていよう。」
という遺言を残しており
甲冑と刀と短刀に法螺貝を下げたまま
埋葬される事となりました。
種里城内には埋葬された光信の御廟所の他に
家臣で臣で殉職を果たした奈良主水貞親の
お墓も残されており、
御廟所内では一切雑草が生えないとされる
不思議なパワーを秘めております。
光信公の館
種里城はその後大浦氏の支城として使用され
大浦氏5代目当主為信の時代に
津軽地方を統一し津軽為信と名を改め
江戸時代、弘前藩を立藩。
その後一国一城の命により廃城となります
しかし、津軽氏の発祥の地として
弘前藩により管理が行われ、
藩内で疫病や災難が降りかかる度に
この地で祈祷を行う等、
津軽氏の聖地となりました。
現在種里城跡地は史跡公園として整備され
1990年、光信公の館が開館されており
城跡の発掘資料や津軽藩のゆかりの資料が
展示されている他に、
種里地区には光信にまつわる
神社や史跡跡が数多く残されておりますので
ぜひ種里城に観光に訪れてみてください