どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は西津軽郡鰺ヶ沢町の
歴史と史跡をご紹介します。
鰺ヶ沢町の歴史と史跡をご紹介!🏖️
鰺ヶ沢駅
鰺ヶ沢町の歴史ですが
1889年、町村制の施行により
田中町、七ツ石町、米町、本町、浜町、
新町、釣町、漁師町、新地町、
富根町、淀町が合併し
鰺ヶ沢町が発足。
1955年、
赤石村、鳴沢村、舞戸村と合併し
改めて鰺ヶ沢町が発足。
町名の由来は芦ヶ沢からの転訛が
有力とされています。
白八幡宮
中世の時代。
807年、蝦夷討伐の祈願所として
坂上田村磨呂によって創建され、
後に津軽為信によって再建され
鰺ヶ沢の総鎮守となった
古い歴史を持つ神社です。
中世の時代の頃より
この地には蝦夷の民が暮らしており
9~10世紀の蝦夷反乱のあとも
蝦夷の居住地として北海道の村々と合わせ
出羽国の管理下に置かれておりました。
鎌倉時代に入りますと
この地を統治しておりました
安東氏が幕府から地頭職の命をうけ、
蝦夷管轄と西津軽、北津軽郡を中心に
治めておりましたが、
蝦夷の反乱が度々起こると、
蝦夷の管轄を巡る一族同士の争いが始まり
一族が分裂してしまう結果となってしまい、
これが引き金となり鎌倉幕府の力が衰え
幕府滅亡へと繋がる事となります。
津軽安東氏の歴史と史跡を
紹介している記事はこちらです
種里城址
南北朝時代。
八戸を拠点とする南部氏の力が増大すると
西津軽地方への足掛かりを得るべく
同じ一族である南部光信に種里城を築城させ
安藤領土への侵攻が行われると。
奮戦むなしく安藤氏一族は蝦夷へと撤退し、
津軽地方全域を
南部氏が統治する事となりました。
種里城の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
高倉神社・赤石城跡
南部光信はその後に弘前市岩木地区に
大浦城を築城して大浦氏と改名すると
5代目当主大浦為信の時代、
宗家南部氏からの津軽独立を目指し
破竹の勢いで各支城を攻略すると
その後、
時の関白豊富秀吉に領土を安堵され
津軽地方の独立を勝ち取る事となりました。
写真の高倉神社は津軽三十三観音の
八番札所として多くの参拝者が訪れる他、
神社の後ろの山沿いには
南部光信が築城した赤石城があった場所で、
為信が生まれた城だとされており、
嫡子館とも呼ばれております。
津軽為信の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
鰺ヶ沢町奉行所跡
江戸時代、
為信は津軽為信と名を改めると弘前藩を立藩、
鰺ヶ沢町奉行所を設置して
港町として整備が本格的に進めら
北前船の拠点として繁栄を極め
津軽平野で栽培された
津軽米が多く上方へ輸送されました
また海上防衛の拠点としても活用され
蝦夷地でのシャクシャインの反乱では
鰺ヶ沢町の港から兵士が出兵した他に
江戸時代の後期、異国の船の往来が増すと
台場を築き大砲と警固役が置かれ
海外からの防衛に
備えた歴史が残されています。
弘前藩の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
鰺ヶ沢ヒラメのヅケ丼
現在鰺ヶ沢町では
世界遺産白神産地を中心とした
景勝地や観光スポットが豊富にある他に
ご当地グルメ鰺ヶ沢のヒラメのヅケ丼等、
港町ならではの新鮮な海鮮料理を
頂く事ができます。
青森県にお越しの際は
鰺ヶ沢町に観光にぜひ訪れてみてください
西津軽エリアの歴史
おすすめ関連記事