どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡を巡る
旅行に行ってきました。
今回は、青森県青森市にあります
浪岡地区の歴史と史跡をご紹介します。
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浪岡地区の歴史と史跡をご紹介!🏞️
浪岡駅
浪岡地区の歴史ですが1889年
町村制によって浪岡村が発足します
そして1940年に町制施行し
浪岡町になります
1954年、
浪岡町、五郷、大杉、野沢、女鹿沢の
村々が合併し新生浪岡町となりますが
2005年平成の市町村合併により
青森市に編入され現在に至ります。
青森市の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです。
美人川伝説
中世の時代
津軽安東氏が鎌倉幕府の地頭として
浪岡地区を含め藤崎町から津軽半島を
統治しており、1229年、
安東氏と奥州藤原氏の流れを組む
十三藤原氏が野荻ノ台で戦うと
藤原氏が戦いに破れ没落します。
京都の近衛関白家に
福姫という娘がおりましたが
器量が悪く、陰陽師安倍晴明の報告で
津軽外ヶ浜で炭焼きをする藤太に
嫁ぐ事となりました。
福姫が身なりを整え、かたわらの小川で
顔を洗うと美人となり、
藤太とめでたく結婚した。
この藤太は没落した十三藤原の末裔、
藤原頼秀であり姫の力で家を再興し
津軽氏の祖となった伝説が残されています。
金光上人墳墓
金光上人は浄土宗開祖法然上人の高弟で
師の教えに従い奥州に入り旅先で
夜な夜な光物が出るという話を聞き
現在の蓬田村を流れる阿弥陀川で
阿弥陀如来を発見すると阿弥陀如来を背負い
梵珠山で布教の道場を開いた人物になります。
その後、上人は五本松に庵を結び
1217年、
遺言によって北中野に墓をつくり
西光寺を建てたといわれています。
中世の館
南北朝時代、津軽地方を巡る
津軽安東氏と南部氏の戦いで
安東氏は秋田檜山へと敗退すると
津軽地方は南部氏の領土となります。
浪岡地区には南部氏の客将として
北畠が迎えられ地名を取り
浪岡氏として浪岡城を築城して
統治を行いました。
浪岡地区や藤崎町周辺には
浪岡氏に関連する史跡や館跡が
数多く残されており浪岡地区にあります
中世の館では浪岡城や地区の歴史を
観覧する事が出来ます。
浪岡氏の歴史と史跡の
記事はこちらです
浪岡城跡
1577年
南部氏家中で争いが始まると
津軽独立を目指す津軽為信が挙兵し
南部氏の支城を次々に攻め落とすと
浪岡氏も交戦しますが力及ばず
敗退を喫してしまい浪岡氏は滅亡し
浪岡地区は津軽為信の領土となり
その後、江戸時代には津軽藩の領地として
幕末を迎えるのでありました。
津軽為信と弘前藩の
歴史と史跡は
こちらの記事で紹介しています。
宿場町、浪岡宿
中世の頃から外ヶ浜と内陸地を結ぶ
交通の要地だった浪岡地区は、
青森に向かう大豆坂街道や
弘前から福島県桑折を結ぶ
羽州街道の宿場町として
栄えた歴史を持っており、
町中を歩けば宿場町の名残を
感じる事が出来ます。
浪岡北畠まつり
現在浪岡地区では
リンゴやお米の栽培が盛んに行われ
毎年8月には当地に貢献した
浪岡北畠氏にちなんだ夏祭りが
開催されています。
温泉や歴史の深い浪岡地区に
ぜひ観光に訪れてみてください
以上
浪岡地区の歴史と史跡のご紹介でした
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