どーもKABUOです。
2019年
青森県津軽地方を
巡る旅に行ってきました。
今回は青森県平川市の
歴史や史跡を中心にご紹介します。
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平川市の歴史と史跡のご紹介!🏞️
平賀駅
平川市の由来ですが
青森県南部を流れる岩木川の支流である
平川から名前が取られ2006年に
尾上町、平賀町、碇ヶ関村が合併し
発足したのが始まりです。
平川市の南部にあります
碇ヶ関地区の歴史と史跡の
紹介の記事はこちら
猿賀神社
367年の中世の時代、
仁徳天皇の勅命を受けた上毛野君田道は
蝦夷討伐の途中の戦死し
この地に埋葬されます
その後、807年
坂上田村麻呂が蝦夷討伐に苦戦すると
田道の霊に導かれ勝利を得たので
田道を祀った猿賀神社を建造し
中世以来、津軽地方では由緒ある
信仰地として大きな勢力を誇りました。
毎年旧暦の8月 14日~16日に大祭が行われ
民族芸能の獅子踊りなどが奉納され、
また猿賀神社境内には蓮の花が
9月頃まで咲いており見ごたえがあります。
大光寺城趾
鎌倉時代の13世紀初頭、
鎌倉御家人の曽我氏が地頭として
この地に派遣され大光寺城を築城します。
しかし一族同士で争いが起こると
徐々に力が衰退すると南北朝時代には
南部氏に攻め込まれ南部氏の領土となります。
しかし 1574年
南部氏配下滝本重行の時代
津軽統一を目指す津軽為信の攻撃を受け
滝本重行は敗走し津軽氏の領土として
幕末まで津軽藩が統治を行いました。
市内には尾崎城や高畑城等
大光寺城にまつわる史跡が数多くあり
地域の歴史勉強にもってこいです。
大光寺城の歴史と史跡を
くわしく紹介した記事はこちらです
盛美園
鎌倉時代に北条時頼の愛妾であった
唐糸御前を津軽安東氏の居城
藤崎城まで護衛を行った
清藤盛秀の子孫である清藤盛美が
1902年に小幡亭樹宗匠を招き
9年の歳月を費やして建造された
大石武学流を代表する庭園です
またジブリ映画
「借りぐらしのアリエッティ」では
登場する屋敷や世界観に
おおいにに参考されたとされ
現在国指定名勝として登録されており
多くの観光客が訪れております
清藤氏書院庭園
清藤家は唐糸御前を津軽安東氏に送り届けると
そのまま津軽地方に土着し名家として
中世から昭和まで平川市一帯の
大地主として君臨した歴史があり
盛美園の隣にあります清藤氏書院庭園は
唐糸御前の霊を弔うために
ケヤキの木を植えたのが始まりだとされ
こちらも国指定庭園として登録された
深い歴史を持っております
唐糸御前については
こちらの記事でも記載しています
平川ねぷた祭り
平川市は 平賀温泉郷や碇ヶ関温泉郷等、
数多くの温泉施設が立ち並んでおり
毎年8月に開催される平川ねぷた祭りは
弘前市や青森市にも負けない
艶やかなねぷたが町を運行します。
盛美園や猿賀神社と共に
平川市にぜひ観光に訪れてください
以上、
平川市の歴史と史跡のご紹介でした
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