どーもKABUOです。
秋田県八峰町の歴史と史跡の
調査を行いましたので
ご紹介します。
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八峰町の歴史と史跡をご紹介!
八峰町役場
八峰町の歴史ですが
岩舘村、八森村が合併し八森町
沢目村、 塙川村が合併し峰浜村が発足。
その後、2006年
平成の大合併が行われ
八森町と峰浜町が合併し
発足したのが八峰町となります。
白瀑神社
853年、慈覚大師円仁によって
創建された白瀑神社。
神輿を担いで滝壺に入る
全国でも珍しいお祭りが
毎年開催されております。
本館城跡
檜山城を起点に山本郡、北秋田郡、秋田郡を
統治した檜山安東氏の支城であった本館城。
当初は工藤氏という野武士が
居住しておりましたが
1582年に檜山城主安東愛季によって
津軽方面の押さえとして本館城を築城すると、
天目山の戦いで敗れた武田方の
武田重左衛門の一族が能代に流れ着き
大高相模守の知遇へて本館城を与えられました。
安東氏は津軽を拠点としていた豪族でしたが
南部氏による津軽を巡る争いに敗れ
能代に移住した経緯があるため
津軽奪還は安東氏にとって祈願でもあり
本館城を拠点に何度も津軽に侵攻した
歴史があります。
安東氏の歴史と史跡を紹介した
記事はこちらです
松源寺
1600年
関ヶ原の戦いの後 、
戦いに消極的な姿勢を見せた安東氏は
常陸の国に転封されると
変わりに佐竹氏が秋田に入部し
久保田藩を立藩すると
本館城主武田武田重左衛門は
そのまま本館城に留まり
佐竹氏に仕官します。
佐竹氏が国替えを機に知行を改めると
農民は年貢があまりにも重たくなるので
武田氏に上申しますが聞き入れて
もらえませんでした。
1605年
村々が大困窮すると
浜田村の村長、六右衛門は
勢力を結集し本館城を襲撃します。
城主武田重左衛門は切腹、
武田の妻は二人の子供を逃がした後
武田氏が開基したこちらの松源寺で
自害しました。
その後。一揆を首謀した六右衛門を含む
30人が捕らえられ処刑されてしまい
武田氏が滅亡した後、
疫病が流行った事から
白瀑神社内に武田氏を祀る八幡神社を建立し
霊を鎮めたと伝わっており、
現在本館城本丸跡には
武田氏のお墓と処刑された人々の
慰霊碑が建立されており、
毎年本館地区ではたいまつをかざして
本館城跡を練り歩く慰霊祭が開催されています
境番所・唐船番所跡
江戸時代初頭
弘前城から参勤交代へと向かう
大間越街道が通っていた為、
各集落は人々の往来によって
大いに栄えた歴史がありましたが
その後、矢立峠が開発されると
大館を経由する羽州街道が主流となり
徐々に衰退していったそうです。
写真の岩舘地区にあります旧温海小学校跡には
津軽からの往来を取り締まる
関所が置いてありました。
現在八峰町では特産品として
11月から12月かけて漁が行われる
ハタハタ漁が特に盛んに行われており
多くの市場に出荷されて
ハタハタの町として全国的にも有名です。
八峰町に起こしの際はぜひ特産品の
ハタハタをご賞味してください
以上
八峰町の歴史と史跡のご紹介でした
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