KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

能代市 二ツ井地区の歴史と史跡をご紹介!🏞️

どーもKABUOです。

 

秋田県能代市二ツ井地区の

歴史と史跡の調査を行いましたので

同地区の観光スポットとともに

ご紹介します。

 

 

 

 

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二ツ井地区の歴史と史跡のご紹介!

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二ツ井駅

 

能代市二ツ井地区。その歴史ですが

1876年、比井野村と薄井村が合併し

二ツ井村が発足。

その後町制を施行し二ツ井町となります。

 

1955年、

荷上場、富根、種梅、響の各村々を

編入し新生二ツ井町を発足しますが

2006年

平成の大合併が各市町村で行われると

二ツ井町は能代市に編入され

現在に至ります。

 

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七座神社

 

米代川をはさんで七座山の七つの座を

見渡せる場所にあります七座神社。

658年、阿倍比羅夫が蝦夷征伐のため

この地に訪れた際に、戦勝祈願のために

建立したといわれており

古くから七座山とともに県北一円の

信仰を集めてきた神社です。

(二ツ井町観光 協会引用)

 

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銀杏山神社

 

こちらの神社も阿倍比羅夫が

蝦夷征伐のためこの地に訪れた際に、

戦勝祈願のために建立したといわれており

江戸時代には秋田の佐竹氏の

奥方も参拝に訪れた事から

佐竹家の家紋を付けることを許され

多くの参拝者が訪れました、

 

境内にあります三本の大銀杏は

阿倍比羅夫の時代に植えられたとされ

夫婦銀杏とも呼ばれ幹のコブが

垂れていることから乳不足の女性が

この樹のまわりを一気に五周して

願をかければ乳が出ると言われ

秋には見事黄色に染まった風景が見られる

絶景スポットです。

 

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鎧神社

 

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兜神社

 

中世の時代。

 

源頼朝による奥州合戦で破れた

藤原秦衡が蝦夷地に逃れようと

この二ツ井地区まで落ち延びた際

疲労困憊だった為、鎧と兜を脱ぎ捨て

この地に置いていったとされ

その後、家臣の河田次郎の裏切りによって

自害に追い込まれたことを

憐れんだ村人達によって鎧と兜を社に

祀ったと伝わっております。

 

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梅林寺

 

鎌倉時代、

源頼朝の命によって浅利氏が入部すると

その家臣、額田氏が荷上場にありました

館平城を中心に二ツ井地区を

統治する事なります。

 

この梅林寺は1605年に開基されますが

元々は天台宗のお寺で高岩山の麓にあったと

伝えられており額田氏の他に浅利氏のお墓が

境内に建立されており、

 

その後、

浅利氏は戦が続き国力は落とすと

檜山城主安藤氏によって滅ぼされ

二ツ井地区も安藤氏の統治化に

置かれることとなりました。

 

浅利氏の歴史と史跡の

紹介の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

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七座山

 

江戸時代。

 

関ヶ原の合戦の後、

秋田県に常陸の国より佐竹氏が入部すると

久保田藩を立藩し秋田県全域を統治すると

二ツ井地区にも津軽から大館、久保田を通る

街道が整備されると荷上場、小繁、飛根地区に

宿場町が形成され多くの人々が往来したと

記録に残されております。

 

七座山は元々修験道の修行の場として栄え

佐竹氏が入部すると藩にとって最も大切な

直接管理運営する山林として保護され

伐採された木々は荷上場で積まれ

加護山で採掘された銅とともに

米代川を通り秋田城下に運ばれました

 

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岩関神社

 

岩堰用水路を作った梅津政景を祀った

岩関神社。

 

佐竹氏家臣として知行地を与えられた政景は

水捌けの悪い比井野、薄井地区に

岩堰用水路を作り耕地開拓に勤め

村人に感謝された事から

岩関神社に祀られており

現在でも用水路は使用され

神社では盛大なお祭りが行われています。

 

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清徳寺 肥前藩戦没者供養塔 

 

1868年

戊辰戦争が始まりますと

新政府軍に組み入れした久保田藩は

旧幕府軍に付いた奥羽諸国と

激しい戦闘が行われた歴史を持ち

大館城を攻略した南部藩は

二ツ井地区まで進軍を繰り広げ

現在のきみまち阪周辺で交戦となりますが

新政府軍の近代兵器よって南部藩は敗北し

敗走しました。

 

こちらの清徳寺は

梅津政景によって開基されたお寺で

境内には戊辰戦争で亡くなった

新政府軍側であった肥前佐賀藩士5名と

肥前小城藩士3名のお墓が建立されています。

 

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きみまち阪

 

江戸時代の頃まできみまち阪は

険しい山に囲まれ 郭公坂、馬上坂、生坂

などと呼ばれ余程の事が無い限り人は通らず

もっぱら荷上場から小繁まで舟を使い

往来するなど難所として知られていました。

 

明治時代。

明治天皇の東北巡幸が行われると

山の先端の切り通して緩やかな

坂道が作られ藤琴川に橋が架けられ事なり

この地を訪れた明治天皇がその美しさに感動し

傒后阪(きみまちざか)という

名称をつけたとされます。

 

現在公園として整備され

桜にツツジ、紅葉と季節の彩りが楽しめ

また恋人の聖地として多くの

観光客が訪れております。

 

以上

二ツ井地区の歴史と史跡の

ご紹介でした。

  

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