KABUOのブラリ放浪記

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能代市の歴史と史跡をご紹介!🏖️

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どーもKABUOです。

 

秋田県能代市の歴史調査を行いましたので

史跡を中心に同市の歴史を

ご紹介します。

 

 

 

 

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能代市の歴史と史跡をご紹介!

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能代

 

能代市の歴史ですが1940年、

能代港町、東雲村、 榊村が合併し

能代市が発足するとその後、

扇淵村、鶴形村、浅内村、常磐村、

檜山町を編入します。

 

そして2006年

平成に大合併の際、二ツ井町と合併を行い

新制能代市が発足し現在にいたります

 

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杉沢台遺跡

 

原始の時代より米代川流域を中心に

集落を形成した跡が多数残されており

柏子所貝塚は県指定史跡

杉沢台遺跡は国指定史跡に

登録されています。

 

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八幡神社

 

古代の時代。

能代が始めた文献に登場したのが658年

蝦夷の征伐の際、阿倍比羅夫

180隻もの水軍を率いて淳代(のしろ)に

上陸したと記録が残されており

阿倍比羅夫はその後、淳代、津軽の2

郡をおいて郡領を定めたとされます

 

また朝廷と蝦夷との争いが激しさを増し

秋田城を襲撃する元慶の乱が発生します。

その際、朝廷側の最前線拠点として

野代宮が活用された記録が残されており

場所は諸説ありますが

能代市檜山地区田床内だとされており

能代市一帯は朝廷と蝦夷勢力が争った

歴史が残されています。

 

能代市内中心街にあります

こちらの八幡神社阿倍比羅夫

戦勝祈願の為に八幡大神を海岸沿いの

中島に鎮祭したのが始まりだとされ

その後、米代川の流路が変化し中島が

流欠したため愛宕山に移り、

1694年、現在地に移りました。

 

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住吉竜神

 

八幡神社境内にあります住吉竜神社。

 

昔、播磨の船乗りが

能代の遊女と深い仲になった。

その船乗りが播磨に帰るとき、

一緒に連れていって欲しいと

遊女にせがまれて困り、

真夜中におびき出して殺し、

米代川の河口に沈めた。

その後も播磨の船が入港するたびに

海が荒れるので、遊女の怒りを沈める為に

創建したと伝わる神社です

(秋田県の歴史散歩引用)

 

また戊辰戦争直前に

奥羽鎮撫副総督の沢為量を始め

桂太郎大山格之助能代の勤王派の

人たちが密談した歴史的な場所です。

 

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檜山城跡

 

中世の時代

青森県津軽地方を統治しておりました

津軽安東氏が南部氏との抗争に敗れ

蝦夷に逃れた後に檜山地区に拠点を移し

檜山城を築城します

 

檜山城主、安東愛季の時代に最盛期を迎え

愛季に仕えた加賀の清水政吉によって

1556年頃から現在の能代市中心街と

能代湊の開発が行われたと

記録に残されています。

 

檜山城の歴史と史跡の紹介記事は

こちらです。

www.yamagatakabuo.online

 

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米代川能代

 

江戸時代の頃、関ヶ原の合戦の後

戦いに消極的な姿勢を見せた安東氏は

常陸の国に転封されると

変わりに佐竹氏が秋田に入部し

久保田藩を立藩するとこの頃から

能代市中心街は本格的な

港町の開発が行われようになりました

 

米代川上流から舟を使い

比内地方や大館で採掘、伐採された

鉱石や木材が能代で陸揚げされ

北前船に積み込まれ遠く上方まで

運ばれるようになると

多くの商人や船乗り、職人が住み着き

活気に満ち溢れるようになりました。

 

しかし1692年と1704年頃

米代川の大洪水や大地震

度々災害や火災が発生するので

元々は野代(のしろ)という地名でしたが

「能(よ)く代わる町」にしようと

能代と改名し現在の町名の

由来となっています

 

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風の松原と景林神社

 

 

16世紀頃から町割りが行われた

能代市中心街ですが

強風により砂塵が吹き飛び

砂の影響による被害が多かった

砂丘地帯でありました。

 

 

その為、1670年

能代に住んでいた医者の長尾裕達によって

砂丘に植林の計画が着手されると

秋田藩士、栗田定之丞や加藤景林ら

多くの人々によって1世紀以上にわたり

約700万本のクロマツの植林が行われ

1833年に完成を迎える事となりました

 

現在公園として整備され

能代市民の憩いの場として

ランニングやキャンプを楽しむ人々であふれ

風の松原の愛称で親しまれており

植林に力を注いだ栗田定之丞の碑や

加藤景林の神社が残されています。

 

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 日和山五輪塔

 

風の松原にあります日和山五輪塔

能代イワシの不漁が続いてた為

イワシ豊漁祈願やイワシ供養をかねて

徳昌寺の徳民道善和尚によって

建てられた五輪塔になります。

 

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井坂記念館

 

能代市は、米代川流域で生産された

天然秋田杉の集積地であったことから

木都能代として栄えました

 

明治時代を迎えると井坂直幹が導入した

最新の機械機材を使った

林業が急速に発展していきます

 

井坂氏は今も能代市民の心の奥に「木都の父」として生き続けています。井坂氏は明治の半ばに来能し、木材産業の近代化の新しい波を導入し、井坂氏が創立した秋田木材株式会社を名実ともに東洋第一の規模に育てあげました。それがまた在来の地元業界を刺激して、その改善発展を招来して木都能代の基盤を確立するに至りました。

秋木工業では、井坂氏と能代市民との深い因縁を考慮し、市内御指南町の旧井坂邸跡地を能代市に提供、その活用法を申し入れ、そのご秋友会が主唱してこの邸内に井坂氏の胸像を復興しました。また、能代市は、井坂氏の遺徳を顕彰するため、昭和47年先生の遺品と木材産業史資料を収集展示する井坂記念館を開館しました

(能代市公式ホームページ引用)

 

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 旧料亭 金勇

 

こちらの料亭金勇は

秋田杉をふんだんに使用されて建造され

能代市を代表する歴史的木造建築物で

登録有形文化財に登録されております

 

2008年

料亭は廃業されましたが

2013年観光交流施設

能代市旧料亭金勇として開館され

館内を見学することが可能です。

 

 

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能代役七夕

 

現在能代市では

 江戸時代より続く七夕祭り

能代役七夕が行われており

江戸時代から続く巨大な七夕は

天空の不夜城と呼ばれ

毎年8月能代市民や多くの

観光客で大盛り上がりをみせます。

 

ぜひ能代市に観光に訪れましたら

ぜひ立ち寄ってみてください

 

以上、

能代市の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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