どーもKABUOです。
大館市の歴史と史跡の調査を
行いましたので同地区にあります
大館中心街、矢立、花岡、十二所地区の
歴史を中心にご紹介します。
大館市の歴史と史跡のご紹介!
大館市の歴史ですが1889年、
東大館町と西大館町が合併し大館町となると
1951年 、釈迦内村と合併し大館市が発足
その後、 下川沿、上川沿、仁井田、真中
長木の5ヶ村と花矢町、十二所町を編入、
新政大館市として現在に至ります
ご紹介はこちらです。
大館市役所
大館市が初めて歴史に登場したのが
元慶の乱の頃だとされ資料によると
朝廷に反抗した賊地として
「火内」という地名が出ており
当地域の比内地方を指しております。
十二所地区にあります大滝温泉。
807年の八幡平噴火の際に
涌き出たといわれています。
伝説によればその昔1羽の傷ついた
鶴が快復し飛び立った芒野(すすきの)に
温泉が湧いていたので鶴の湯、芒湯と
名付けたと言われており、
現在はひなびた温泉宿が立ち並び
無色透明の温泉は肌に優しく
美人の湯としても知られています。
実相寺の釈迦内堂
釈迦内神明社
板子石神社
大館市釈迦内地区には
唐糸御前伝説が残されています。
鎌倉時代後半の頃
鎌倉幕府最高権力者であった
北条時頼は隠退後諸国を廻る旅び出た際、
その留守中に
愛妾唐糸御前はねたみによって
津軽の藤崎に流されてしまいます。
ある日、時頼が来ることを聞いて
唐糸は落ちぶれた身を恥じ
沼に身を投げて命を絶ってしまいました。
時頼はこれを深く悲しみ供養に為に
釈迦如来像を作り釈迦堂に納めたと事から
釈迦内の地名の由来となったと
言われており
地区には唐糸御前にまつわる史跡跡
実相寺の釈迦内堂、釈迦内神明社
板子石神社等数多く残されております。
矢立廃寺跡
大館市白沢松原にあります矢立廃寺跡。
出家遁世して当地を補陀寺を開創し、
秋田の中世史には必ず登場し東北における
曹洞禅伝播の先駆と言われており
秋田県指定史跡に登録されております。
玉林寺
中世の時代。
鎌倉時代に入りますと地頭として
浅利氏が入部すると大館市を含む
比内地方を統治しますが
その後、津軽氏、南部氏、安藤氏と
強国を相手に戦が続くと国力が疲弊し
浅利氏は滅亡、その後安藤氏が
比内地方を統治する事となります
こちらの写真は浅利氏の菩提寺で
浅利氏の歴史と史跡の紹介は
こちらの記事に記載しております
大館城の堀跡
近世の時代。
江戸時代になりますと
当地を支配しておりました安藤氏が
常陸の国に転封され変わりに
秋田に佐竹義宣が入封すると
久保田藩を立藩すると大館城に
小場義成を配地しその後
佐竹西家として200年以上に渡り
大館比内地方一体を統治しました。
大館城の歴史と史跡の紹介の
記事はこちらです。
真田幸村の墓
1615年
戦死したとされますが
影武者を用意して戦死とみせかけ
秀頼とともに薩摩に落ち延びたとされる
伝説が残されております。
その後、薩摩で数年過ごした後、
嫡男である大助と共に
奥州の地に向かったとされ
その理由として石田三成が奥州の地へ
逃れていたためそれを頼った説や、
真田幸村の四女である御田姫は
佐竹氏の親族に嫁いでいたため
秋田藩の庇護を受けた説など複数あります
そして大館の岩神を安住の地として過ごし
1641年75歳で没したと
伝わっております。
大館市鳥潟会館
江戸時代より代々肝煎をつとめた
鳥潟家の旧家。
鳥潟家は1600年から続く名家で
多くの著名人を輩出した事で知られており
現在は無料で一般公開され
庭園を散策する事が出来ます。
矢立峠と一里塚跡
1662年、
津軽藩が江戸まで向かう参勤交代に使用され
街道が整備され人々の往来が増えると
大館城下、白沢、釈迦内、川口地区には
宿場町が形成され大いに栄えました。
現在羽州街道沿いを進みますと
各地区には一里塚跡の史跡が残されており
街道の名残を垣間見る事が出来ます。
相馬大作事件之地
南部氏から津軽地方を独立した経緯から
仲が悪い状態が続いておりました。
1821年
南部氏をことごとく軽視する津軽氏に
参勤交代で弘前城に帰城する
その前に計画が漏洩し津軽寧親は
能代、深浦経由で帰城して事なきを得ました。
その後、相馬大作は半年間逃亡しましたが
捕らえられてしまい江戸の小塚原刑場で
処刑されました。
老犬神社
大館市は全国的な有名な
秋田犬忠犬ハチ公の出生地で
知られておりますが
こちらの老犬神社には
悲しい逸話が残されており
ご主人様の命を救うべく忠義を尽くした
シロという老犬が祀られております
十二所城跡
幕末の1868年
新政府軍と幕府軍との間に
戊辰戦争が始まりますと
東北諸藩は奥羽列藩同盟を結び
新政府軍に対峙しますが
久保田藩は新政府軍に組し
東北諸藩と戦うこととなります。
そして1868年 8月
盛岡藩による十二所城を攻略を皮切りに
大館城まで攻め込めこまれてしまい
城は落城してしまいますが
新政府軍の勝利によって
明治時代を迎えるのでした。
十二所城の歴史と史跡の
紹介の記事はこちらです。
白沢御膳水
大館市白沢にありますこちら
明治時代1881年、明治天皇が
お昼行在所で昼食の料理や飲み水として
献上されたことからこの名前が付けられ
昔から旅人の休憩や住民の生活用水として
利用された歴史を持ちます。
長走風穴高山植物群落
長走風穴は国見山の斜面にある
崖錐型の風穴で古来より冷風が吹き出る
不思議な場所と言われ
物が腐らぬまた凍らぬという
風穴の特性を活かし佐々木耕治によって
風穴冷蔵庫が作成され青森のリンゴを
貯蔵し東京に出荷された歴史があり
国指定天然記念物に登録されております。
小林多喜二生誕の地
大館市下川沿駅前にあるこちらの石碑、
1903年多喜二はここで生まれ
4才で小樽に渡った後、当時の深刻な
不況から来る社会不安の影響によって
労働運動への参加を始め
その後、蟹工船を執筆し
多くの読者の心を引き寄せました。
花岡鉱山と花岡事件
明治時代になりますと
鉄道の普及により荷物の往来が盛んになると
大館市では鉱山開発が積極的に行われ
藩政時代からあった長木鉱山、
石倉鉱山、高倉鉱山の他花岡や釈迦内でも採
掘が行われるようになります
しかし作業環境は劣悪を極め
1944年~1945年にかけ
中国人を徴収し労働を行わせると
中国人による脱走が起こり
取り締まりが行われると
捕虜を共楽館に集められ暴行が加えられ
多くの犠牲を生んだという
悲惨な歴史がありました。
桜櫓館(おうろかん)
その後、戦争が終わると大館市は
市制施行を行い大館町から
大館市へと生まれ変わります。
こちらの桜櫓館は大館市が市制施行前の最
後の町長を勤めた桜場文蔵氏の私邸で
国の有形文化財に指定されており
気軽に観光に立ち寄る事が出来ます
秋田犬の里
現在大館市では観光に力を入れており
特産品の比内地鶏の飼育や
忠犬ハチ公の生誕地とも知られており
秋田犬の品評会も行われる等
魅力溢れる場所となっております
秋田犬の里を紹介した
記事はこちらです
秋田県の旅行の際はぜひ
大館市に立ち寄られてはいかがでしょうか!
以上
大館市の歴史と史跡の
ご紹介でした。