KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

大館市の歴史と史跡のご紹介!🏞️

どーもKABUOです。

 

大館市の歴史と史跡の調査を

行いましたので同地区にあります

大館中心街、矢立、花岡、十二所地区の

歴史を中心にご紹介します。

 

 

 

 

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大館市の歴史と史跡のご紹介!

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大館駅

 

大館市の歴史ですが1889年、

東大館町と西大館町が合併し大館町となると

1951年 、釈迦内村と合併し大館市が発足 

その後、 下川沿、上川沿、仁井田、真中

長木の5ヶ村と花矢町、十二所町を編入、

2005年、田代町と比内町と合併し

新政大館市として現在に至ります

 

旧田代町と比内町の歴史と史跡の

ご紹介はこちらです。

 

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大館市役所 

 

大館市が初めて歴史に登場したのが

平安時代の頃、蝦夷と朝廷による争い、

元慶の乱の頃だとされ資料によると

朝廷に反抗した賊地として

「火内」という地名が出ており

当地域の比内地方を指しております。

 

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大滝温泉・大滝薬師神社

 

十二所地区にあります大滝温泉。

 

807年の八幡平噴火の際に

涌き出たといわれています。

伝説によればその昔1羽の傷ついた

鶴が快復し飛び立った芒野(すすきの)に

温泉が湧いていたので鶴の湯、芒湯と

名付けたと言われており

 

現在はひなびた温泉宿が立ち並び

無色透明の温泉は肌に優しく

美人の湯としても知られています。

 

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実相寺の釈迦内堂

 

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釈迦内神明社

 

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板子石神社

 

大館市釈迦内地区には

唐糸御前伝説が残されております

 

鎌倉時代後半の頃

鎌倉幕府最高権力者であった

北条時頼は隠退後諸国を廻る旅び出た際、

その留守中に愛妾唐糸御前はねたみによって

津軽の藤崎に流されてしまいます。

 

ある日、時頼が来ることを聞いて

唐糸は落ちぶれた身を恥じ

沼に身を投げて命を絶ってしまいました。

 

時頼はこれを深く悲しみ供養に為に

釈迦如来像を作り釈迦堂に納めたと事から

釈迦内の地名の由来となったと

言われており

地区には唐糸御前にまつわる史跡跡

実相寺の釈迦内堂、釈迦内神明社

板子石神社等数多く残されております。

 

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矢立廃寺跡

 

 大館市白沢松原にあります矢立廃寺跡。

 

後醍醐天皇の側近、万里小路藤房が

出家遁世して当地を補陀寺を開創し、

秋田の中世史には必ず登場し東北における

曹洞禅伝播の先駆と言われており

秋田県指定史跡に登録されております。

 

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玉林寺

 

中世の時代。

鎌倉時代に入りますと地頭として

浅利氏が入部すると大館市を含む

比内地方を統治しますが

その後、津軽氏、南部氏、安藤氏と

強国を相手に戦が続くと国力が疲弊し

浅利氏は滅亡、その後安藤氏が

比内地方を統治する事となります

 

こちらの写真は浅利氏の菩提寺で

浅利氏の歴史と史跡の紹介は

こちらの記事に記載しております

 

www.yamagatakabuo.online

 

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大館城の堀跡

 

近世の時代。

 

江戸時代になりますと

当地を支配しておりました安藤氏が

常陸の国に転封され変わりに

秋田に佐竹義宣が入封すると

久保田藩を立藩すると大館城に

小場義成を配地しその後

佐竹西家として200年以上に渡り

大館比内地方一体を統治しました。

 

大館城の歴史と史跡の紹介の

記事はこちらです。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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真田幸村の墓

 

大館市一心院にあります真田幸村の墓。

 

1615年

大阪夏の陣で豊臣秀頼と共に

戦死したとされますが

影武者を用意して戦死とみせかけ

秀頼とともに薩摩に落ち延びたとされる

伝説が残されております。

 

その後、薩摩で数年過ごした後、

嫡男である大助と共に

奥州の地に向かったとされ

その理由として石田三成が奥州の地へ

逃れていたためそれを頼った説や、

真田幸村の四女である御田姫は

佐竹氏の親族に嫁いでいたため

秋田藩の庇護を受けた説など複数あります

 

そして大館の岩神を安住の地として過ごし

1641年75歳で没したと

伝わっております。

 

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大館市鳥潟会館

 

江戸時代より代々肝煎をつとめた

鳥潟家の旧家。

 

鳥潟家は1600年から続く名家で

多くの著名人を輩出した事で知られており

現在は無料で一般公開され

庭園を散策する事が出来ます。

 

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矢立峠と一里塚跡

 

大館市と青森県平川市を結ぶ矢立峠

 

1662年、

津軽藩によって矢立峠の整備が行われると

津軽藩が江戸まで向かう参勤交代に使用され

街道が整備され人々の往来が増えると

大館城下、白沢、釈迦内、川口地区には

宿場町が形成され大いに栄えました。

 

現在羽州街道沿いを進みますと

各地区には一里塚跡の史跡が残されており

街道の名残を垣間見る事が出来ます。

 

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相馬大作事件之地

 

津軽藩主津軽寧親を暗殺を企てた

南部藩士相馬大作。

 

戦国時代、初代津軽藩主津軽為信が

南部氏から津軽地方を独立した経緯から

江戸時代になっても津軽藩と南部藩は

仲が悪い状態が続いておりました。

 

1821年

南部氏をことごとく軽視する津軽氏に

憤慨した相馬大作は大館市岩抜山付近で

参勤交代で弘前城に帰城する

津軽寧親の待ち伏せを行いましたが

その前に計画が漏洩し津軽寧親は

能代、深浦経由で帰城して事なきを得ました。

 

その後、相馬大作は半年間逃亡しましたが

捕らえられてしまい江戸の小塚原刑場で

処刑されました。

 

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老犬神社

 

大館市は全国的な有名な

秋田犬忠犬ハチ公の出生地で

知られておりますが

こちらの老犬神社には

悲しい逸話が残されており

ご主人様の命を救うべく忠義を尽くした

シロという老犬が祀られております

 

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十二所城跡

 

幕末の1868年

新政府軍と幕府軍との間に

戊辰戦争が始まりますと

東北諸藩は奥羽列藩同盟を結び

新政府軍に対峙しますが

久保田藩は新政府軍に組し

東北諸藩と戦うこととなります。

 

そして1868年 8月

盛岡藩による十二所城を攻略を皮切りに

大館城まで攻め込めこまれてしまい

城は落城してしまいますが

新政府軍の勝利によって

明治時代を迎えるのでした。

 

十二所城の歴史と史跡の

紹介の記事はこちらです。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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 白沢御膳水

 

大館市白沢にありますこちら

 

明治時代1881年、明治天皇が

矢立峠を越え初めて秋田県入りした際、

お昼行在所で昼食の料理や飲み水として

献上されたことからこの名前が付けられ

昔から旅人の休憩や住民の生活用水として

利用された歴史を持ちます。

 

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長走風穴高山植物群落

 

長走風穴は国見山の斜面にある

崖錐型の風穴で古来より冷風が吹き出る

不思議な場所と言われ

物が腐らぬまた凍らぬという

風穴の特性を活かし佐々木耕治によって

風穴冷蔵庫が作成され青森のリンゴを

貯蔵し東京に出荷された歴史があり

国指定天然記念物に登録されております。

 

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小林多喜二生誕の地 

 

大館市下川沿駅前にあるこちらの石碑、

 小林多喜二は大館市下川沿出身です。

 

 1903年多喜二はここで生まれ

4才で小樽に渡った後、当時の深刻な

不況から来る社会不安の影響によって

労働運動への参加を始め

その後、蟹工船を執筆し

多くの読者の心を引き寄せました。

 

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花岡鉱山と花岡事件

 

明治時代になりますと

鉄道の普及により荷物の往来が盛んになると

大館市では鉱山開発が積極的に行われ

藩政時代からあった長木鉱山、

石倉鉱山、高倉鉱山の他花岡や釈迦内でも採

掘が行われるようになります

 

しかし作業環境は劣悪を極め

1944年~1945年にかけ

中国人を徴収し労働を行わせると

中国人による脱走が起こり

取り締まりが行われると

捕虜を共楽館に集められ暴行が加えられ

多くの犠牲を生んだという

悲惨な歴史がありました。

 

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桜櫓館(おうろかん)

 

その後、戦争が終わると大館市は

市制施行を行い大館町から

大館市へと生まれ変わります。

 

こちらの桜櫓館は大館市が市制施行前の最

後の町長を勤めた桜場文蔵氏の私邸で

国の有形文化財に指定されており

気軽に観光に立ち寄る事が出来ます

 

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秋田犬の里

 

現在大館市では観光に力を入れており 

特産品の比内地鶏の飼育や

忠犬ハチ公の生誕地とも知られており

秋田犬の品評会も行われる等

魅力溢れる場所となっております

 

秋田県の旅行の際はぜひ

大館市に立ち寄られてはいかがでしょうか!

 

以上

大館市の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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