どーもKABUOです。
大館市田代地区の歴史と史跡の
調査を行いましたので
ご紹介します。
田代地区の歴史と史跡をご紹介!
田代中学校
田代地区の歴史ですが
1956年、早口町と山瀬村が合併し
田代町が新設されます
そして2005年、比内町とともに
旧田代町役場
町名の由来は同地区にあります
白神山地に属し標高1178mあります
田代岳から来ており
多くの高山植物が咲き誇ることから
雲上のアラスカ庭園とも呼ばれ、
多くの登山客に親しまれています。
矢石館遺跡
田代地区には河川沿いに
縄文期の遺跡が発見されており
狐森遺跡、向岳遺跡、大岳遺跡と
原始の時代からこの地に人々が
暮らしていた事がわかります
写真の矢石館遺跡は5基の石棺と
2列の列石が発見され
秋田県指定史跡に登録されています。
洞雲寺
古代、中世の記録は残されておらず
記録として始めて登場するのが
鎌倉時代の頃でした。
比内地頭として浅利氏が
比内地方を治めると田代地区山田、越山に
家臣を配置したと伝わっており
山田に配置された野突氏は
浅利氏と安藤氏の抗争の時
浅利方の先鋒として勇名をはせました。
しかしその後、浅利氏が滅亡しますと
安藤氏が江戸時代までこの地を
統治する事となります
こちらの洞雲寺は
旧領主浅利氏ゆかりの人々が
同氏の菩提寺である
玉林寺7世風巌呑海大和尚を
勧請開山として創建されました。
浅利氏の歴史と史跡の紹介はこちらです
岩瀬一里塚跡
江戸時代
秋田に佐竹氏が入封し秋田藩を立藩すると
大館城に小場義成を配置されると
田代地区は西佐竹家によって
幕末まで統治される事となりますと
大館から秋田を結ぶ羽州街道が整備され
早口岩瀬地区と長坂地区には一里塚跡が
残されておりました。
早口駅
1868年戊辰戦争が始まりますと
秋田藩は新政府軍に与していた為、
奥羽同盟軍により攻撃を受け
十二所から南部藩が侵攻受けると
奮戦虚しく大館城が落城しました。
こちらの早口駅裏手にあります
現在早口公園として整備されております。
御神木のけやき
田代中学校敷地内にあります
旧田代町天然記念物に指定されいます
御神木のけやき
樹齢600年こ越え
別名千年けやきとも称されており
昔はこの木の芽吹きや落葉によって
農作物の豊凶や降雪の多少を
占ったと言われています
小畑勇二郎記念館
早口公園近くにありますこちらの記念館。
田代地区早口上野出身で
秋田県知事を24年務めた
小畑勇二郎の功績を記念して創立され
館内には少年時代を過ごした家の模型や
秘蔵のコレクション、事績などの
数々の遺品が展示されております
大鮎の里ふるさとまつり
現在田代地区では田代岳の登山以外に
五色の滝、石の塔、五色湖と
大自然の魅力溢れる景観や
同地区に流れる早口川や米代川で
毎年鮎釣り大会が開催され
自然を生かした観光資源に恵まれ
多くの観光客が訪れておりますので
ぜひ大館市田代地区に観光に
訪れてみてはいかがでしょうか。
以上
田代地区の歴史と史跡の紹介でした。
大館市・北秋田地区の歴史
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