どーもKABUOです
2019年
山形市滝山地区の歴史と史跡の
調査を行いました。
滝山地区は阿古耶姫伝説や
陶芸が有名な平清水地区、
古代の時代から山岳信仰の信仰場として
盛大な勢力を誇った瀧山(りゅうざん)
信仰があった歴史的な場所ですので
ご紹介します。
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滝山地区の歴史と史跡をご紹介!
滝山小学校
滝山地区は瀧山の麓に位置しており
古代の時代には瀧山を信仰した
山岳信仰の場として盛大に栄えた
歴史を持つ地区になります
1889年。前田、平清水、小立、岩波、
八森、土坂、神尾、青田、中桜田、上桜田
元木の11ヵ村が合併して滝山村が発足
1954年、山形市に編入されます。
東北芸術工科大学
昔は静かな農村地帯でありましたが
1991年に東北芸術工科大学が
設置され現在は新興住宅街が
集まる町並みに変わって行きました。
三百坊の石鳥居
滝山地区を代表する瀧山
山岳信仰の拠点として
平安~鎌倉時代まで麓には
300の坊があったほど
一大勢力を誇った歴史がありました
瀧山信仰の歴史と史は
こちらの記事で紹介しております
平清水焼き
陶芸の里として知られている
滝山地区平清水
平清水の名主と平清水の住職が
平泉寺窯を造り、粗陶器を焼いたのが
始まりとされ文化年間(1808~1818)
常陸の小野藤治平が陶器の製法を
伝えた事が平清水焼きの起源となり
同地区には数多くの陶器の工場があり
現在でも数多くの作品を
産み出しております。
名勝はずかし川
平清水近くに流れる恥岸川
その昔、父・実方を慕ってきた
十六夜姫(いざよい姫、中将姫)が
長旅の最中にこの川を渡ろうとした時
自分のやつれた醜い姿が
水面に写った事に驚き
「いかにせん うつる姿は九十九髪
わかおもかげは はずかし川」
と一首詠じましたところ
突然川水が引いた伝えられており
それ以後、恥岸川(はずかし川)と
呼ばれるようになった逸話があります
春日神社
平清水地区にあります春日神社。
戦国時代には最上義光家臣
氏家氏が住む平清水館があったとされ
案内板もなく遺構が殆ど消失しております。
平清水のひいらぎ
山形最上家の客臣として
迎えられた平清水氏によって
魔除けとして植えられたと伝わっており
山形県指定天然記念物に
登録されております。
耕龍寺・平清水観音堂
最上三十三観音第6番の礼所で
平清水陶芸の祖
小野藤治平のお墓があります。
平泉寺
平泉寺境内には4月になると
天然記念物に指定されている
しだれ桜が咲き誇り滝山地区
住民自慢のお花見スポットになります
また最上家家臣氏家氏に寄進された
鉄鉢が山形指定文化財に
指定されておりました。
平泉寺・大日堂
平泉寺境内にあります
こちらの大日堂は
平清水奥地にあります新山に
737年、行基が創建したとされ
鎌倉時代には東北の祈願所
最上家時代は代々寺領を賜る
天台宗の古刹になります
千歳山萬松寺
千歳山萬松寺は今から1300年前
阿古耶姫によって開基された。
阿古耶姫の父は
藤原鎌足の曾孫藤原豊充郷の
朝廷の命により陸奥に下って
役命を努めておった
阿古耶姫はこの地に来て生涯を終え
萬松寺に葬られたと伝わっており
山形市のシンボル千歳山の
地名の由来となっております
お寺の山門は最上家始祖
斯波兼頼が建造した
山形城南門でありましたが
最上義光の時代、山形城の改築にあたり
萬松寺に寄贈されました。
千歳山稲荷神社
萬松寺近くにあります千歳山。
祭神は食物や穀物を司る
豊受大神を祀っており
山形城に入部した斯波兼頼が
山形城を築城しようとした時、
配下を千歳山に登られせ
城の配置を見定めたそうです。
その際、あたりは霧が立ち込め
市内を見渡すことが出来ない中
山中で稲荷神と出会い祈りを捧げたところ
霧が晴れ城の方位を見定めたとの
逸話が残されております
以上、滝山地区の歴史と史跡の
ご紹介でした
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こちらが今回の地図です
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