どーもKABUOです。
山形市滝山地区にあります
平安~鎌倉時代に
一大霊場として栄えた
瀧山を中心に歴史と史跡を
ご紹介します。
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瀧山信仰の歴史と史跡をご紹介!
元木の石鳥居
蔵王連峰に位置する
標高1362mあります瀧山。
古くは霊山と呼ばれ
古来より信仰の山として崇められ
近在近郷の農村では水の神として
信仰が厚かったとされます。
霊山が瀧山に変わった時代は
明らかになっておりませんが、
山形近辺の開田が進み農業用水の
問題が深刻になり、雨乞いのために
竜王の祈りが行われるようになって
からだといわれています。
こちらの元木の鳥居は
造立は平安時代だとされ
日本でもっとも古い鳥居の
一つとして数えれており
山形市成沢にあります
八幡神社の石鳥居とともに
瀧山へと登る参道口でありました
石行寺と観音堂
瀧山の歴史は平安時代、
慈覚大師によって開山され
山頂に薬師如来を祀り
瀧山寺を開創された事から
瀧山信仰が始まります
その後、数多くの行者が
参拝に訪れる事となり
大伽藍や三百の宿坊が建立され
大いに栄える事となりました。
こちらの石行寺さんは
瀧山に通じる参道に位置しており
こちらも慈覚大師によって
創建されたと伝わるお寺で
石行寺観音堂は最上三十三観音
第七番礼所として古来より
多くの人々の信仰を集めてきました。
奪衣婆
瀧山の参道を登る途中にあります
古びた奪衣婆の像。
特に説明や案内板がありませんが
当時の名残を感じる事が出来る
貴重な史跡跡となっております。
三百坊の鳥居
鎌倉時代、西の出羽三山とともに
最盛期を迎えた瀧山でしたが
時の執権であった北条時頼が
廻国中この地を訪れた際、
修験僧が邪なことをしていた為、
時頼が閉山に追い込んだと
鎌倉時代の記録書に残されていますが
しかし同時代に多くの山岳信仰拠点が
閉山に追い込まれていた事から
幕府に従わない強大な勢力を
誇ってしまった為、閉山を命じたのでは
ないかという説も有力視されております
こちらの三百坊の鳥居は
瀧山信仰の再興を願い麓の信者によって
1866年に建立され
瀧山信仰の名残りが残されております。
瀧山寺
その後、瀧山の閉山によって
修験僧は追放され麓に下り
山形市中桜田に新たに瀧山寺を再建し
瀧山大権化を祀ったと伝わっており、
現在は新興住宅街に囲まれ
当時最盛期の規模を誇った
瀧山信仰の面影が残されておりました。
以上
瀧山信仰の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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こちらが今回の地図です
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