どーもKABUOです。
山形県最上地方鮭川村へ
プチ旅行に訪れましたので
同村にあります観光スポット及び。
歴史や史跡をご紹介します。
スポンサーリンク
鮭川村の歴史と史跡をご紹介!
鮭川
鮭川村では太古の昔より
同村を流れる鮭川より鮭の遡上が
見られたことから地名の由来となり
鮭や鱒を天の恵みとして感謝する習俗が
鮭川村に残されており
1889年、
川口村、向居村、佐渡村、中渡村が
合併し鮭川村が発足、
1954年豊田村と豊里村と合併し
現在にいたります。
庭月観音堂遺跡
縄文時代の頃から鮭川の川沿いには
集落が形成された形跡が残されており
庭月観音堂には古い縄文時代の遺跡
ストーンサークルが残されております。
トトロの木(曲川の大杉)
こちらの大杉は
推定樹齢1000年といわれ
かたわらには山神の祠があり、
周囲からは縄文土器と石器が
出土発見された事から古い時代から
信仰を集めていた事を物語っています。
その形状からジブリに出ている
となりのトトロに似ており、
物珍しさもあり
多くの観光客が訪れております。
源氏楯跡
古代の時代、
国府多賀城と庄内地方を結ぶ
間道の間に佐芸駅(さけえき)が
鮭川村佐渡真木付近に設置され
当地が古代交通の要所として
重視されていました。
(佐芸駅の場所は諸説あり)
その為、古代から中世にかけ
多くの武力衝突が起こり
こちらの源氏楯跡は
前九年の役の阿倍貞任の戦い際、
源義家が立て籠ったと伝わっており
鮭川村の指定遺跡として
残されています。
庭月楯跡
中世の時代。
鮭川村一帯は
庄内の武藤氏、秋田仙北の小野寺
大蔵村清水を拠点とする清水氏の間で
激しく領地を巡る争いが行われ、
小野寺氏に客将として迎えられ
鮭延城主佐々木氏(後の鮭延氏)によって
山形城城主最上義光に侵攻されるまで
真室川、鮭川一帯を統治されました。
こちらの庭月楯は
鮭延氏の家臣、庭月氏の居楯とされ
鮭川村一体には多くの鮭延氏の
城跡や楯跡が残されております。
鮭延氏の歴史はこちらの記事です
庭月観音
庭月観音は鮭川の河畔にあります
天台宗のお寺で最上三十三観音の
三十三番札所になります。
お寺の歴史ですが
鮭延城主、鮭延貞綱の時代の頃
円仁作といわれている聖観音像を
城内に安置しておりましたが
後に一族庭月氏の助言により
鮭川沿いにお堂が建立され
聖観音像を安置したことにはじまります
最上氏の鮭延城侵攻の後に、
最上氏の家臣となりました鮭延氏ですが
1622年、最上家の改易により
鮭延城が廃城になりますと
庭月観音も一時荒廃しましたが
戸沢氏が新庄藩を立藩し
鮭川村一帯を統治しますと
1671年
新庄藩二代目藩主戸沢正誠の発言により
現在の場所に遷移、再建されました。
その後、明治時代まで
戸沢氏により鮭川村一帯は
統治される事となりました。
鮭川村エコパーク
江戸時代の頃から
穀倉地帯であった事から
お米の栽培が盛んに行われ、
現在ではキノコの栽培に力を入れ
村の特産品として
市場に出回っております。
豊かな自然と豊富な山の幸に
恵まれた鮭川村にぜひ一度
観光に訪れてみてください
以上、
鮭川村の歴史と史跡の
ご紹介でした。
ランキングに参加しています
記事の内容がよろしければ
バナークリックをお願いします
こちらが史跡のアクセス場所です
スポンサーリンク